今こそ語りたい、なぜフジファブリックの“若者のすべて”は僕らの背中を押すのか

今こそ語りたい、なぜフジファブリックの“若者のすべて”は僕らの背中を押すのか
8月9日放送の『ミュージックステーション』に初出演したフジファブリックは、在りし日の志村正彦の映像・音声との「共演」という形で“若者のすべて”を演奏した。
山内総一郎(Vo・G)/金澤ダイスケ(Key)/加藤慎一(B)による音楽的冒険のプラットフォームであると同時に、志村が残した楽曲とともに歩み続ける唯一の共同体でもあるフジファブリックの在り方を、テレビの映像越しに伝えてみせた、感動的な場面だった。

そして――その『Mステ』のアクトで改めて際立っていたのは、“若者のすべて”という楽曲そのものが持つ、聴く者の心を前へ先へと駆り立てずにはいられないセンチメントの訴求力だ。

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2019をはじめ今年の夏フェスの舞台で実際に“若者のすべて”を観た方も多いと思う。
“B.O.I.P.”や“Surfer King”、“パッション・フルーツ”、“TEENAGER”など極彩色のポップとミステリーが四方八方に弾け回るような3rdフルアルバム『TEENAGER』(2008年)の中で、そのシンプルかつ清冽な質感において“若者のすべて”はひときわ特別な存在感を持って響いてくる。

メジャーデビュー後初のメンバーチェンジ(ドラマー脱退)という転機。メジャー3作目のアルバムを前に、バンドとして/ソングライターとしての成長を求めるがゆえの苦悩と葛藤。そんな激動の季節の中で志村が対峙したのは、音楽を求め続ける自分自身の核心――過ぎ行く夏の《最後の花火》を色褪せることなく胸に刻み続けた自らの「永遠の少年性」だったのだろう。

《夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて》と叙景と叙情の間を幾度も丹念に行き来しながら、《ないかな ないよな きっとね いないよな》の謎めいたフレーズが淡々と、しかし抗い難く心を掻き乱す。
「時間が/季節が過ぎ行くこと」に対して言いようのない焦燥感と切迫感に胸突き動かされた、僕らの若かりし「あの頃」の記憶に、“若者のすべて”は静かに寄り添ってくる。

ひたむきに日常を生き「その先」を志す情熱を、少年時代の風景と重ね合わせて楽曲に結晶させた志村。《すりむいたまま 僕はそっと歩き出して》と歌う名曲が指し示すのは取りも直さず、歳を重ねても僕らの中に息づく「あの頃の自分」に他ならない。

《最後の最後の花火が終わったら/僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ》

今年も夏が終わろうとしている。僕らは何度も、何度でも、この曲を思い出す。(高橋智樹)

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