キュウソネコカミという「ヒーローになれない」から始まった逆転勝利のメカニズムについて

キュウソネコカミという「ヒーローになれない」から始まった逆転勝利のメカニズムについて
「セックス、ドラッグ&ロックンロール」というフレーズが死語になったのは、いつからだろうか。別段それを寂しいとか悲しいとか思っているわけではないし、むしろロックの定義や価値観が多様化した今日はおもしろい。アウトローの物語とロックが密接な関係を持っていたのは確かだけれども、それはロックがはみ出し者たちの叫びだったからで、必ずしも破天荒でワイルドな、クールでカッコいい、そして強いヒーローである必要はない。伝説的なロックバンド、ザ・フーの名曲“The Kids Are Alright”(Hi-STANDARDもその昔シングルでカバーした)は、「彼女があいつらと踊っていても、気にしたりなんかしないさ/僕は離れるべきなんだって思うよ/だってあいつらはいい奴らなんだから」という歌である。

ちょっと季節感のズレた話になるが、キュウソネコカミというバンドはまるで梅の木みたいだ。何度も折れ曲がりながら枝を伸ばすように屈折したマインドを抱き続け、派手ではなくとも愛らしい花を咲かせる。僕が彼らを知ったのはアマチュアアーティストコンテスト・RO69 JACK 2011(現在のRO JACK)で、キュウソはROCK IN JAPAN FESTIVAL 2011の出場権を惜しくも逃したが、“困った”という曲で入賞を果たした。猛烈なボルテージで《クラブやディスコに怖くて行けぬ、夜の繁華街居心地悪い、先の見えない遊びは嫌いよ、テキーラなんかはもってのほかよ》と歌い出される曲。まったく、見事なくらいキュウソである。後の“DQNなりたい、40代で死にたい”や“良いDJ”に通じるものがあるかもしれない。

CD版『ウィーアーインディーズバンド!!』のシークレットトラックとして収録されていた“就活就活”には、就職活動そのものに対する巨大なフラストレーションが込められていた。「大学の軽音楽部内で就職活動に敗れた者達を中心に兵庫県・西宮で結成」という自虐的でおもしろおかしいキュウソのプロフィールは、「大卒で就職」という人生の大きな選択肢との間で、激しく揉まれ揺さぶられた結果としての選択だったのではないかと思う。だから、彼らは「ロックバンドで飯を食う」という自らの生き方にとてもシビアに向き合ってきたし、それは“ウィーアーインディーズバンド!!”や“ビビった”というキャリアの節目節目のナンバーにも表れている。

「僕らは、メタなバンドなんで」。かつてインタビュー時に、ヨコタシンノスケ(Key・Vo)が真顔でそう語っていたことが印象深い。ロックバンドである自分たちのことも、現代生活のあらゆる事柄も、徹底して客観的に見つめることで、キュウソは歌うべきテーマを捕まえ、生き抜いてきた。“ファントムヴァイブレーション”は、誰もがスマホ依存に陥る(あるいは陥った)危機感の中でこそ《スマホはもはや俺の臓器》という大合唱を生んだし、それは“サギグラファー”や“NO MORE 劣化実写化”などでも同様だ。時代の陰に淀んだモヤモヤとした問題を、激情の叫びとして拾い上げること。「メタではあるが決して冷笑的ではない」、「柔軟ではあるが筋は通っている」ということが、キュウソの一貫した姿勢なのだ。その究極形が、これまでの全人生をかけ未来をこじ開けるために歌った“ギリ昭和”だろう。

持って生まれた華やかさや破天荒さがあるわけではない。いつの間にかクラスメイトの輪の中心にいるようなタイプでもない。ロックスターは、実はいつの時代もそんな場所から現れる。ヒーローになれなかった屈折から始まったバンドは、ヒーローとの距離感を見定めながら、いつしか《ロックバンドでありたいだけ ロックバンドでありたいだけ/悲しみも憂いも紛らわせて ぶっ飛ばしてやるよ/ライク ア ヒーロー》(“The band”)と歌っていた。結成10周年を迎えるキュウソネコカミは、ロックの定義や価値観が多様化したこの時代の先頭を走ってきたのである。

また、彼らはかつて“キュウソネコカミ”の中で《俺らはこんなポテンシャルで/ウダウダやってるつもりは無い/優しい歌は歌えないし/ロキノン系にはなれそも無い!!》と歌っていたけれど、果たしてどうだろうか。彼らはこの12月31日(火)、COUNTDOWN JAPAN 19/20の最大規模ステージ=EARTH STAGEでカウントダウンの大役を務めることになる。追い詰められた「ファイブ・ラッツ」による最新の逆転ストーリーが、そこであなたを待っているはずだ。(小池宏和)
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