サザンオールスターズ全楽曲サブスク解禁、その音楽が僕たちの日常に存在する素晴らしさについて

サザンオールスターズ全楽曲サブスク解禁、その音楽が僕たちの日常に存在する素晴らしさについて
30年近く昔の話、僕は高校生で、音楽も好きだったけれど部活動のバスケットボールに日々打ち込む生活を送っていた。打ち込んでいたというか、打ち込まざるを得なかったというか、年休2日という厳しい部活動だったのだ。まあ今となっては、自身の家族との時間を犠牲にして熱心に指導してくれた顧問の先生や、毎日顔を合わせるのもうんざりだったチームメイトにも、感謝はしている。

遠征の練習試合で交通費を抑えるために、顧問のワゴン車に6人ほどが乗り込んで県境を跨ぐようなことも、ちょくちょくあった。バスケ経験者なら知っているだろうけれど、6人で1日に3、4試合をこなすのはなかなか骨が折れる。消耗し切った帰路、空気の重い車内には、確か先輩がCDからカセットテープにダビングしたはずの映画『稲村ジェーン』のサウンドトラックが流れていた。“希望の轍”を聴きながら、普段はポップミュージックの話などしたこともない顧問が珍しくぼそりと「これ、いいよなあ」と呟いた。みんなグッタリしているので返事もしないけれど、窓の外に流れる夜の灯りをぼんやりと眺めながら、誰もが「そうっすね」ぐらいのことを思ったはずだ。居眠りをしている奴以外は。

アルバイトもできず、好きなようにCDを買うお金もなかったあの頃、僕は高校を卒業したらCDを聴きまくってライブに行きまくってやろう、とささやかな野心を抱いていた。鎌倉の稲村ヶ崎に初日の出を拝みに行くようになったのは、今になって思えば『稲村ジェーン』の影響だろう。音楽ライターなんていう仕事をやるようになったのは、音楽に飢えていたあの頃の反動が大きな理由になっているのかもしれない。

「2019年末にサザンオールスターズと各メンバーのプロジェクトによる楽曲が900曲以上、たとえばスマホでも好きなときに好きな場所で聴けるようになった」。そんな話を高校生の僕にしたら、どんな顔をするだろうか。まずスマホが分からないだろうから、どうもこうもないのだけれど、これは大変なことである。わざわざ昔話をしておいて、若い人に「今のテクノロジーを有難がれ」と言うのはナンセンスだ。当たり前のことを当たり前に楽しめればいいだけの話である。そういう話ではなくて、サザンに限らず大物アーティストのサブスクリプション音楽サービス解禁が相次いだ2019年の終わりに、我々はどんな価値や喜びを見出すことができるのか、考えてみたい。

多くのアーティストがサブスク解禁に踏み切った理由には、まずシンプルに「そういう時代だから」ということがあるだろう。サブスクが音楽の流通形態として既に一定の影響力を持つようになり、もはやサブスクを利用しないとリスナーとの「出会い」の可能性すら限定されかねない時代だ。これはどちらかと言えば消極的な理由で、慎重に検討と準備を進めていたアーティストたちが、このタイミングで解禁に漕ぎ着けたところもあるだろう。アナログレコードやカセットテープからCDに移り変わるときも、デジタル配信販売の時代が来たときもそうだったし、時代が変わったからといって旧来的な音楽フォーマットの価値が貶められるわけではない。音楽を聴く手段の選択肢が増えただけだ。僕は今でもCDやカセットテープを買うし、買う理由が明確にある。好きにやれば良いのだ。

ただもうひとつ、アーティストやリスナーがサブスクを積極的に利用するべき理由がある。それは、記憶の引き出しが不意に開いて聴きたくなった「あの曲」を、いつでもどこでも聴くことができるという点だ。どうと言うこともなさそうに思えるが、これは重要である。実家に帰ってCDを探せば聴けるけれど、もたもたしているうちに「今、あの曲を聴きたい」という欲求は薄らいでしまうし、たとえばあのときワゴンの車中で“希望の轍”を聴いたときの気持ちは、なんとなしの気分で聴く“希望の轍”とは全く表情が違う。サブスクは、そんな生々しく面倒臭い人間の欲求に応えてくれるテクノロジーなのである。本来ならベテランアーティストや年季の入ったリスナーほど記憶と結びついた音楽をめぐる欲求は強いはずだし、サザンのように40年以上もの間、幾多のヒット曲を人々の思い出に滑り込ませてきたアーティストの場合なら尚更である。

桑田佳祐は“ヨシ子さん”の中で、《“サブスクリプション”まるで分かんねぇ》とユーモラスに歌ったが、あの曲は全力で時代と取っ組み合うコンテンポラリーかつアバンギャルドなグルーヴが宿っているからこそ、珠玉の桑田節になっていた。「こんなはずじゃなかった未来」にも、時代と取っ組み合う音楽の面白さは、そして記憶に染み付いた音楽の美しさは、まだ聴こえている。僕はちょっと『稲村ジェーン』をスマホに突っ込んで、久しぶりに初日の出でも拝みに出かけようかと思っているところだ。(小池宏和)
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