ダフト・パンクとは何だったのか? フレンチ・エレクトロでポップ・ミュージックに革命を起こし、世界中を踊らせ続けた二人。その突然の別れを惜しむ

ダフト・パンクとは何だったのか? フレンチ・エレクトロでポップ・ミュージックに革命を起こし、世界中を踊らせ続けた二人。その突然の別れを惜しむ

突然だった。去る2月22日、ダフト・パンクが解散した。

ダフト・パンクは90年代のフレンチ・エレクトロの動きから現れたグループだ。もともとはダーリンというインディ・ロック・バンドをやっていたが、そのライブを「a daft punky thrash」と酷評されたことをきっかけにダフト・パンクと改名し、トーマ・バンガルテルとギ=マニュエル・ド・オメン=クリストの2人によるハウス・ユニットとして再出発した。

彼らはアナログ・シンセのフィルターやEQを操作して音色を加工する「フィルター・ハウス」というジャンルの先駆となり、70~80年代のディスコやファンクをベースにした新しいダンス・ミュージックを作り出した。ファースト・アルバム『ホームワーク』(1997)がその成果だ。私はその直後に来日した彼らにインタビューしたことがある。マスクをしない素顔の2人は、どこにでもいるような気のいい若者だった。

彼らのレトロ・モダンなフレンチ・ハウスが、最新のポップ・ミュージックとして見事に完成されたのがセカンド・アルバムの『ディスカバリー』であり、代表曲の“ワン・モア・タイム”だった。アルバムがリリースされた2001年の夏が、ダフト・パンクのピークだったと今にして思う。フジロックを始め、あらゆるフェスやパーティーで“ワン・モア・タイム”のボコーダー・ボイスがかかりまくっていた。幸福な夏の記憶である。

もちろん彼らの商業的なピークは全米1位を獲得しグラミー5部門を受賞した『ランダム・アクセス・メモリーズ』(2013)である。だが彼らの愛する70年代のソウルやファンクやディスコへのレトロな愛情を、腕利きの一流スタジオ・ミュージシャンを惜しげもなく使い、人力で再現した『ランダム~』は一種の禁じ手、禁断の果実のようなもので、その後の彼らにはやるべきことはもう何ひとつとして残っていなかったのかもしれない。ひとつの時代の終わりを強烈に感じる。

解散に際し彼らは自身が監督した映画『エレクトロマ』の最後の8分間をクリップ化した映像「Epilogue」を公開した。砂漠の中をとぼとぼと歩く2人のスピードが少しずつずれていく。振り向き、戻り、結局は自爆を選択する。別れはいつも切ない。幸福な夏は終わってしまったのだ。 (小野島大)



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