フレディ・マーキュリーを名付け親にもつ男性、叔父のような存在だったフレディとの思い出を語る

フレディ・マーキュリーを名付け親にもつ男性、叔父のような存在だったフレディとの思い出を語る

フレディ・マーキュリーを名付け親にもつ男性が、叔父のような存在だったというフレディとの子ども時代の思い出を振り返っている。

Express」によると、フレディは元恋人で親友だったメアリー・オースティンの息子リチャードの名付け親になったが、ドイツでも家族同然の付き合いをしていた「もう一つ」のファミリーがいたという。

1979年にクイーンが8枚目のアルバム『The Game』をドイツのミュンヘンでレコーディングしたとき、プロデューサーを務めたのがラインハルト・マックで、それから6年間、フレディは同地に滞在してマック家と親しくなったとのこと。

1982年、バンドがアルバム『Hot Space』を収録中にラインハルトの妻イングリッドが3人目を妊娠中で、メンバーとイングリッドがアルバムの完成と出産のどちらが先になるか賭けをし、メンバーが負けたら名付け親にならなくてはいけないとの条件だったそうだ。

そして、先に赤ちゃんが生まれ、賭けに負けたフレディが名付け親となった。マック家の第3子となった息子は、ジョン・“フレディ”・マックと命名されることになった。

BBCのドキュメンタリー番組『Freddie Mercury: A Life in Ten Pictures』でフレディによって名付けられたジョンが、「叔父」との思い出を語っている。

「フレディは、私の子ども時代で大きな存在でした。彼はよく私たちの家にいて、フレディがロンドンにいたときでさえ、(ドイツへ飛行機で)飛んで来ていました。そこはフレディがくつろぐことができ、自分自身に戻れる快適な場所だったのです」


またラインハルトも、彼の子どもたちとフレディがよく一緒に遊んでいたと明かしている。

「フレディはプールで泳いだり、子どもたちと卓球をしたりしてたよ。彼は卓球がすごく上手くて、子どもたちはフレディとよくショッピングにも行っていた。映画を観る夜は、フレディはココアを手にソファで丸くなって(『アマデウス』がフレディのお気に入りの映画だった)、子どもたちに『ねえ、これっって本当の家族みたいだね』と言ってたよ」




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