マイケル・ジャクソンの主治医、「マイケルに強力な薬の使用を迫られた」と語る

2010年作 『マイケル』

マイケル・ジャクソンが急死した時の主治医コンラッド・マレー医師が過失致死に問われている裁判の予備審問で、マレー医師は事件当日にマイケルから睡眠薬を処方されないのならロンドンのO2でのライブはキャンセルすると脅されていたと警察に供述していたことが明らかになった。

裁判は現在、マレー医師を過失致死で起訴するのに充分な証拠が揃っているどうかを判定する予備審問がロスアンジェルス高等裁判所で行われているが、マイケルが2009年6月に急死した後、マレー医師の事情聴取を行ったオルランド・マルティネス警部が予備審問で証言し、脅迫についての供述が明らかになった。

マルティネス警部は、マレー医師がマイケルが急死したその当日に、強力な麻酔薬であるプロポフォールを処方されなければ予定されていたロンドンのライブをキャンセルすると迫られていたと警部に供述したとスカイ・ニュースが伝えている。

マルティネス警部はさらにマレー医師がプロポフォールをマイケルに1週間のうち6日のペースで投与する状態を2ヶ月続けていたことを認めていたとも証言していて、マイケルがプロポフォールへの依存症にかかり始めているとおそれたマレー医師はマイケルからこの薬を遠ざけようとしていたとも語った。マイケルはプロポフォールを「自分にとってのミルクなんだ」と語っていたともいわれている。

マイケルの死の当日の状況についてマルティネス警部はまずマイケルは6月25日の午前1時頃、夏に予定されていたライブのリハーサルを終えてロスアンジェルスの自宅に帰宅したと語っている。その後、マイケルはマレー医師に睡眠のための薬物投与を依頼したとされている。マレー医師はこの時にはロラゼパムとミダゾラムなどの睡眠導入剤や麻酔導入剤を静脈注射により投与し、錠剤の睡眠薬としてジアゼバムも投与した。

その後、マレー医師は6月25日の午前10時40分から50分の間にマイケルにプロポフォールを投与したとBBCは伝えている。その後、「大体」11時頃、マイケルが眠りに落ちたのを見届けたあとでマレー医師はトイレに行くため「2分間」その場を外し、戻ってくるとマイケルの呼吸が止まっていることに気がついたという。

検察によれば、マレー医師は11時から正午までの間に何度も電話を使っているが、救急車は12時21分まで呼ばなかったという。マレー医師はこの経緯について警察にはマイケルを蘇生させるのに忙しかったと説明していて、マルティネス警部はマレー医師から「マイケルのことを見放したくなかった」と説明されたと語っている。

1月6日の予備審問でマイケルのスタッフは、マレー医師がマイケルに死の当日に心配蘇生術を施しているのを目撃したと証言しているが、「口からやるのはこれが初めてなんだけど、友達なんだからやらざるをえないよね」とも語っていたという。

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