クインシー・ジョーンズ、マイケルとの出会いや"スリラー"撮影秘話、急逝までを語る

クインシー・ジョーンズ、マイケルとの出会いや"スリラー"撮影秘話、急逝までを語る - 1982年作『スリラー』1982年作『スリラー』

プロデューサーのクインシー・ジョーンズはマイケル・ジャクソンとのコラボレーションやマイケルとの関係について振り返っている。

ジャズやR&Bのプロデューサーとして60年代から活躍してきているクインシーは1979年の『オフ・ザ・ウォール』や82年の『スリラー』を手がけ、マイケルのソロ・キャリアを盤石なものにするのに一役買った人物として知られているが、ロヨーラ・メリマウント大学で4月8日に講演を行った際にマイケルとのコラボレーションについて振り返っている。

特に『スリラー』の制作前にクインシーは800曲もの楽曲に耳を通して選曲を行ったと明らかにしていて、また"スリラー"のビデオの撮影については次のように語ったとハリウッド・リポーター誌が伝えている。

「"スリラー"のビデオの現場ではなにがどうなってるのか、マイケルもさっぱりわかっちゃいなかったんだよ。現場じゃ(ホラー俳優の)ヴィンセント・プライスもいて、エドガー・アラン・ポーのナレーションをやってたりするわけなんだよ。結構、イカれたものがあのビデオには詰め込まれてるから。みんな最初は気づかなくて8か月くらいして、やっと、ああそういうことだったのかってわかってくれるんだよ」

さらにマイケルの訃報を知った時のことを次のように振り返っている。

「いや、もう仰天したよ。もうね、本当に信じられなかったから。とにかくヘヴィーな事態だったね。本当にヘヴィーだったよ。っていうのはね、プロデューサーとアーティストとの関係っていうのはすごく特別なものだからなんだ。はったりや見かけ倒しのようなことはまったくつけ入るすきがないんだよ。純粋じゃなくちゃだめなんだ。愛と敬意で成立してないとだめだし、お互いへの敬意も異常なくらいにあることが必要で、そうやっていいレコードっていうのは出来ていくんだよ。お互いに信用し合って、プロデューサーはセーフティネットもなしにアーティストに崖から跳んでみろみたいなことを言うわけだから、そこで言ってることに間違いがあっちゃならないんだよ」

また、マイケルとの出会いについて次のように回想している。

「マイケルと初めて会ったのはマイケルが12歳の時で、サイモン・デイヴィスの家で会ったんだけど、これはマイケルがエド・サリヴァン・ショーに出演した流れでそうなったんだよね。でも、本当の意味で知り合ったと言えるのは映画『ウィズ』をやった時だね。この頃からぼくはマイケルのことをスメリーと呼んでたんだ。マイケルはファンキーなことを言わなかったからね(マイケルは若かった頃は特にファックなど悪態をつかないことで知られていて、ファッキンなどの形容詞の代用語として『スメリー』と口にしていたため、クインシーなどからスメリーとあだ名で呼ばれていた)。それでスメリー・ジェリー(いけすかない陰口をたたくやつ)とか言うんだよね。だから、今スタジオには誰がいるのって話になると、スメリー、ワームス、マウスっていう話になるんだよ」

(c) NME.COM / IPC Media 2015
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