ザ・ドアーズのレイ・マンザレクをスラッシュやビリー・ジョー・アームストロングらが追悼

ザ・ドアーズのレイ・マンザレクをスラッシュやビリー・ジョー・アームストロングらが追悼

5月20日に他界したザ・ドアーズのレイ・マンザレクを元ガンズ・アンド・ローゼズのスラッシュやグリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングらが追悼している。

ザ・ドアーズのキーボードを務めたレイは、ドイツのローゼンハイムのローメッド・クリニックで午後12時31分に息を引き取ったとフェイスブックで明らかになっていて、臨終にあたって、妻のドロシーや兄弟のリックとジェイムスなど家族に囲まれながら永眠についたという。

最も早く追悼したひとりがスラッシュで、「俺にとってドアーズはLAサウンドを体現しているんだよ。(子供の頃)イギリスからアメリカに引っ越した時、最初に聴いたバンドがドアーズの"ハートに火をつけて"だったんだ。決して忘れないよ」とレイを偲んでいる。

それに続いたのはニルヴァーナのクリス・ノヴォゼリックで、「レイ・マンザレク、素晴らしい音楽をありがとう!」とツイートしている。なお、グリーン・デイのビリー・ジョー・アームストロングはレイの顔写真のみをツイートしている。

ほかにもビリー・アイドル、デュラン・デュランのサイモン・ル・ボン、カール・バラー、チャック・Dらがレイへの追悼を表明している。

ドアーズは1965年にジム・モリソンがレイとロスアンジェルスのヴェニス・ビーチでたまたま出くわしてバンドをやろうという話になって結成し、67年にデビューした。ジムが71年にパリで急死してからもレイとギターのロビー・クリーガー、ドラムのジョン・デンスモアは活動を続けたが、73年に解散。その後、レイはソロやナイト・シティの一員として活動を続け、近年ではロビー・クリーガーとドアーズの音楽を演奏するユニット、マンザレク=クリーガーでのライヴ活動も続けていた。

また、オフィシャル・フェイスブックでは次のように遺族からのメッセージが更新されている。

「レイは、妻ドロシー、兄弟のリックとジェイムス・マンザレク、息子パブロ・マンザレク、パブロの妻シャーミン、二人の子供でレイの孫にあたるノア、アポロ、カミールを遺して逝きました。葬儀の詳細については検討中です。みなさまにおかれましては、ご遺族の方々のご心労を察してプライヴァシーを尊重していただけますようご配慮のほどをお願いいたします。献花につきましては、レイ・マンザレク名義でStandup2cancer.orgにいくらかの寄付をしていただくことで代えさせていただければ幸いです」

スラッシュやクリス以外の追悼ツイートは以下の通り:

ビリー・アイドル「レイ・マンザレクが亡くなったと聞いて悲しい。レイともう2人のドアーズとつるむことができて幸運だったよ。レイ、元気でね、ジムによろしく」

カール・バラー「ああ、レイ・マンザレクは大好きだったのに。レイが書いた音楽は無数のインスピレーションのもととなっているはずだよ。R.I.P.(ご冥福を)兄弟レイ」

アリス・クーパー「旧友のレイ・マンザレクの死にまったくもって呆気に取られてしまってるよ。呆気だよ。R.I.P.レイ」

サイモン・ル・ボン「ザ・ドアーズを結成させたキーボードのレイ・マンザレクの訃報を聞いてとても悲しい。フェンダー・ローズをファンクにイカれたバッハみたいに弾いてたね」

チャック・D「R.I.P.ザ・ドアーズのレイ・マンザレク!」

マット・ソーラム「R.I.P.レイ・マンザレク。知り合えて一緒に演奏ができて本当に光栄だよ。天才だった」

ティム・バージェス「レイ・マンザレクのインタヴューから『ぼくたちは一緒に音楽を作るために存在しているんだ』。レイ、ご冥福をお祈りします」

ロニー・ジェイムス・ディオ(遺族)「オクラホマ州の人々とレイ・マンザレクのためにお祈りを捧げてください。今日の胸の痛む報せです」

ソニー(スクリレックス)「ザ・ドアーズとドアーズのファンの全員にお悔やみ申し上げます。レイと一緒に"ブレーキン・ア・スウェット"を制作することができて夢が叶った気分だったよ。レイ・マンザレク、みんなあなたのことを愛しています。R.I.P.」

ディープ・ヴァリー「R.I.P.レイ・マンザレク。あなたはグルーヴィーだった」

(c) NME.COM / IPC Media 2013
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