ポール・シムノン、ジョー・ストラマーの死の直前にザ・クラッシュの再結成を拒んだ理由を語る

ポール・シムノン、ジョー・ストラマーの死の直前にザ・クラッシュの再結成を拒んだ理由を語る

ザ・クラッシュは音源11枚、映像DVD1枚からなる12組ボックス・セット『Sound System』を9月13日にリリースすることを明らかにしているが、ベースのポール・シムノンが今回のボックス・セットやクラッシュの思い出などについて『ローリング・ストーン』誌に語っている。

今回のボックス・セットには1982年の『コンバット・ロック』までの5枚のアルバムのリマスタリング、76年の最初のレコーディング・セッション、その後のデモ音源、B面曲、リミックス音源、アウトテイク、ライヴ音源などを3枚のCDに収録し、その他にも未公開映像などを収めたDVDが1枚収録されるという構成になっている。なお、79年の『ロンドン・コーリング』と80年の『サンディニスタ』については、それぞれのオリジナル・リリースに準じて2枚組と3枚組になっている。

ポールは今回のこの企画は数年前から「クラッシュでやってきたことを全部一緒くたに集めちゃったようなボックス・セット」を作ろうという話として持ち上がっていたと明かしていて、ボックス・セットがひとつのアートとなるような、「ボックス・セット・オブ・ザ・イヤー」に輝くようなものにしたかったと説明している。装丁は80年代末に流行したブームボックス(ラジカセ)を模していて、デザイン面はすべてポールが手がけたとのことだ。なぜ、ブームボックスなのかというと、「あの頃、俺たち全員がそれぞれにいつも持ち歩いていたものがブームボックスだったからだよ」とポールは語っている。

なお、未発表音源や発掘音源の詳細についてはポールはよくわからないと語っていて、音源面についてはすべてミック・ジョーンズに一任してあり、音はミック、デザインはポールと完全に作業を分担したと明かしている。ただ、ミックが音源の選別とリマスタリングのために数か月スタジオに籠りっきりになっていたことをポールは明らかしていて、ミックは当初はリマスタリングについてそんなものが本当に必要あるのかどうかと懐疑的だったものの、実は作品がCD化された際に、オリジナルの音源のおよそ80パーセントしかデジタル化されていないことを知り、そこでミックは今回すべて改めることにしたと説明している。

また、『コンバット・ロック』以降、急速にバンドが空中分解したことについてポールは次のように振り返っている。

「それはバンドとしてツアーとレコーディングと移動を7年間ぶっ続けでやってたことが相当影響してたんだよ。それにバンドというよりもひとつのライフスタイルだったからね。7年間まったく休みなしに仕事をし続ければ、当然、そのひずみが出てくるし、自分じゃ全然気づかないものなんだよ。周囲の人間からも影響されることが多いし、しばらく経つと自分たちのことを本当に気をかけてくれる人とそうでない人に分かれてくるんだよ。だからあれはエネルギーと情熱と創造性の激しい爆発のようなものだったんだ。唯一たとえられるものは流れ星しかないと思うよ」

その一方で今回のボックス・セットに1985年のラスト・アルバム『カット・ザ・クラップ』が収録されていない理由についてポールはミックもトッパー・ヒードンも脱退してしまっていて、全体的にクラッシュとは言い難いところがあるからだと説明していて、二人が担っていたものはクラッシュの大きな割合を占めていたと語っている。

なお、2003年の12月に心不全で他界したジョー・ストラマーは翌年のロックンロール名誉の殿堂入り候補になったことを知って殿堂入りした場合には式典での再結成を熱望していたのをこれをポールが断ったことが伝えられているが、この時の経緯をポールは次のように説明している。

「ミックとジョーとトッパーは殿堂入りして、再結成をやるのにすごい乗り気だったんだよ。まあ要するに殿堂入りの条件は俺たちが再結成してパフォーマンスをやるってことだったと思うんだよね。でも、正直言って俺はね、その環境だったら、つまり、ロックンロール名誉の殿堂という場であるのなら、再結成はしたくなかったんだ。ジョーはやりたがってたし、ミックもそうだったよ。でも、俺が言いたかったのは、もし再結成するんだったら、ああいう企業まみれの環境じゃだめだってことなんだよ。ジョーはさ、あれを観るためのチケットが1千ドル(約10万円)とか、それ以上の値段で捌かれていることをわかってなかったからね。俺としてはクラッシュが再結成するんだったら、チケットが1千ドルもしないような場所じゃなきゃ嫌だってことだったんだよ。ジョーはもちろん、そのことを知らなかったし、その数日後に死んじゃったんだよね。だから、ジョーにメッセージを託してその辺の事情を説明することもできなかったんだ。そうしたら、俺たちの殿堂入りが本当に決まって、大人げなく出席しないよりは顔を出して『みんなを支えて、ジョーの追悼のために行ってみるか』って臨んだんだよ。でも、再結成云々についてはまったく興味はなかったんだ」
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