ルー・リードとの出会い、結婚、そして死を妻のローリー・アンダーソンが語る
2013.11.07 20:45
10月27日に他界したルー・リードの妻、ローリー・アンダーソンが『ローリング・ストーン』誌に寄稿して、ルーの思い出を綴っている。
ローリーがルーに初めて会ったのは1992年にドイツのミュンヘンで開催された音楽フェスティヴァルで共演した時で、このフェスの企画で出演者同士での共演を行うように要請された際、ローリーはルーに声をかけられ、自分のバンド演奏に合わせてなにか朗読してほしいとリクエストを受け、これがきっかけとなってまずは知り合いになったと語っている。
もともと前衛パフォーマンス・アーティストとして知られていて、ロックには疎かったローリーは、ずっとヴェルヴェット・アンダーグラウンドはイギリスのバンドだと思い込んでいたので、ルーの言葉にイギリス訛りがないのが変だなと最初は思っていたという。ローリーもルーのことは最初からとても気に入っていたので話を続けていくうちにニューヨークでも近所に住んでいることがわかり、その後の初めてのデートについて次のように回想している。
「そして、ついにルーの方から、一緒にオーディオ・エンジニアリング協会見本市に行かないかという誘いがあったのだ。わたしはどっちみちいくつもりだったからと答え、マイクロフォンのブースで落ち合うことにした。この見本市は最新の機材をチェックするには最高で最大規模のもので、わたしたちはアンプやシールドを物色しては、エレクトロニクス・ブースのスタッフといろいろ話し込んで、楽しい午後を過ごすことになった。この時点でわたしはこれが実はデートだったとは思いもよらなかったが、見本市の後でコーヒーを飲みに行くと、ルーは『これから映画でも観に行かない?』と誘ってきた。もちろん、とわたしは答えた。するとルーは『それから一緒に夜ご飯でもどう?』と訊いてきた。いいわよ。さらにルーは『食後はさ、散歩でもしようか』と続ける。うーん……そして、その先、ルーとわたしが離れることはもうなくなってしまったのだ」
その後二人は親友、あるいはソウルメイトとして21年間一緒に生活することになったが、結婚することになった経緯を次のように語っている。
「あれは2008年の春のこと、わたしはカリフォルニアの道端を歩いていて、自分のことが嫌になってきてルーに携帯で話をしていたのだった。『やりたいと思ってたのにやれなかったことがたくさんあるの』とわたしはルーに話した。
『やりたかったことって?』とルーは訊いてきた。
『だから、結局、ドイツ語も習えなかったし、物理も学べなかったし、結婚もできなかったし』
『それだったら俺たち結婚しない?』とルーは訊いてきた。『俺そっちに向かって半分まで行くから。コロラドまで行くよ。明日とかどう?』
『うーん、ねえ、明日ってちょっといきなり過ぎだとは思わない?』
『ううん、思わない』
そういうわけで、その翌日わたしたちはコロラド州ボールダーで落ち合って、土曜日に友達の家の裏庭で結婚して、わたしたちはいつもの土曜日の普段着のままで、おまけに挙式の直後にわたしはライヴに直行しなければならなかったのに、ルーはそのことを少しも気にしないでくれた(ミュージシャン同士で結婚するのはどこか弁護士同士で結婚するのと似ていて、『今日は朝の3時までスタジオで仕事なんだ』と言ってみたり、仕事を仕上げるためにそれまでの予定を全部中止にするようなことになっても、お互いどういうことかよくわかっているし、必ずしもそれで頭に来たりはしないのだ)」
ルーの病気についてもローリーはC型肝炎の治療で受けていたインターフェロンの副作用にずいぶん苦しんでいたと明らかにしていて、その後肝臓がんを発症し、さらにルーは糖尿病にもかかっていたと説明している。その後、ルーは治療に努めながら精力的に自身の活動も続けていたというが、容態が悪くなって土壇場で肝臓移植手術を受けたとローリーは説明している。一時的にルーは体力と元気も回復させたが、また容態が悪化した時、もう打つ手がないという医師の判断に二人はニューヨーク州の自宅に戻ったという。臨終は病院から帰宅して数日後のことで、ルーの希望で朝の光を戸外で浴びながらのことだったとローリーは綴っている。
「わたしたちは瞑想の実践もしていたので、力を腹から心へ引き上げ頭頂部から抜けさせていく、その準備はよくできていた。それにしても、ルーの死に際しての表情ほど驚きに満ちたものをわたしは見たことがない。ルーの手は水の流れのような、太極拳の21式の動きを辿っていた。目はしっかり開いていた。わたしは自分の腕の中にこの世で一番愛しい人間を抱えながら、死にゆくルーと言葉を交わしていた。そしてルーの心臓が止まった。ルーはそれを恐れてはいなかった。わたしはルーとこの世の最期まで文字通り一緒に歩いていくことができたのだ。人生とはあまりにも美しく、痛ましく、まばゆいものではあるが、これ以上のことはありえない。そして死とは? わたしは死とは愛を解き放つためにあるものなのだと思う。
ルーはきっとまたわたしの夢に現れては、また生きているように思わせてくれることだろう。そしてわたしは今ひとりここに残されて、呆気にとられながらも感謝の気持ちでいっぱいになりながら立ち尽くしている。わたしたちの現生の人生において、わたしたちの言葉と音楽を通して、お互いのことをこれほどまでに変え合って、これほどまでに愛し合えたことは、なんて不思議で、刺激的で、奇跡的なことだったのだろう」