椎名林檎が“長く短い祭”で仕掛けた罠について

椎名林檎が“長く短い祭”で仕掛けた罠について

昨日リリースされた椎名林檎のニューシングル『長く短い祭/神様、仏様』は同じく昨日公開されたMVも含めて凄まじいクオリティであると同時に、椎名林檎の歴史においても重要な意味を持つ作品になっている。



“神様、仏様”に関しては、ここ数年の彼女の、ピュアに野性を開放して、それが結果として大きな意味でのポップを描くという流れを、よりバケモノレベルに突き進めた楽曲で、これはこれで強烈だし、最高。
問題は、“長く短い祭”のほうである。

一聴すると今のオーディエンスにとって旬で美味しい素材を取りそろえて椎名林檎が一流のミュージック・シェフとして腕をふるった、極めて良質なサマーポップダンスチューンに思える。
もちろん、そのように聴いてもらって何も間違いではないのだが、この楽曲のMVを観た人は、この曲がもうひとつの顔を持っていることを感じて胸がざわめくのではなかろうか。
“長く燃えさかる祭”とか“儚く短い祭”ではなく、“長く短い祭”という、エモーショナルに振りきれることなく、抑制を効かせながら聴き手の心に奇妙な引っ掛かりを残すタイトルを持つこの楽曲は、間違いなく意図的に狙いすませたサマーポップダンスチューンである。
本能的であるという意味では“神様、仏様”や『日出処』の楽曲と同じだが、その本能はこの楽曲において「大衆の欲望を狩る」というぐらいの獰猛さを持っている。
このポップの裏側にある獰猛さが、MVではあえて剥き出しにされているのだ。
それを感じながら聴くと「この一筋縄ではいかない獰猛さが椎名林檎だ!」という新たな興奮が生まれる。

そしてこの楽曲は、明らかに世の中に刺さっている。
椎名林檎にこのスイッチが入ったときの破壊力は、やはりとてつもないのだ。(古河)
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