米津玄師のライブに「楽しさ」と「感動」を超えた「救い」を感じた

米津玄師のライブに「楽しさ」と「感動」を超えた「救い」を感じた
米津玄師のライブを観るのが大好きだ。
まず彼自身が、自分の楽曲と共にステージに立つことにとてつもない「楽しさ」と「感動」を覚えていることが伝わってきて、しかもその「楽しさ」と「感動」を完璧に共有できるような親密な空間を彼はバンドと共に作り上げるからだ。
しかし「音楽隊」と名付けられた今回のツアーは、その「楽しさ」と「感動」の先に行っていると今日のZepp Tokyo公演を観て思った。

一流のライブアーティストのなかには、自分の人生の物語を限られた時間のなかでドラマティックに凝縮して表現できてしまう人がいるが、今回の米津玄師のライブはそういうものだった。
そこには「楽しさ」や「感動」を超越して、「救い」があった。
米津玄師という人が、これまでの人生のなかで感じてきたことは、そう簡単に「わかる」と言い切れるものではないが、今日のライブを通して僕はそれをはっきりと「わかる」と感じた。
逆に自分が人生のなかで感じてきた、そう簡単にわかってもらえないだろうと思っていたことを、彼が音楽を通して「わかる」と言ってくれているようにも感じた。
それは米津玄師の音源を聴くことで感じてきたことでもあったが、今日はそれをライブで体験的に味わうことができ、そこに僕は「救い」を感じた。

すごく個人的な感想かもしれないが、同じようなことをこの「音楽隊」というツアーで感じている人がもしかしたらたくさんいるのではないだろうか。(古河)
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