エド・シーラン『÷(ディバイド)』について


自分が生きて経験してきたことのすべてを、どこまで大きく深みのある物語としてその音楽の中で展開し、無数の聴き手の人生と繋がれるかが今、アーティストたちに問われている。
そんな時代のトップ・ランナーはやはり、エド・シーランとテイラー・スウィフトだ。
テイラー・スウィフト『1989』においては、彼女自身がリアルな主人公として、その経験してきたことすべてを投影した物語の中を活き活きと動いている。
それだけでどんなフィクションよりも感動的で、彼女への親愛と共感が溢れ出す、これに匹敵するアルバムはしばらく生まれないのではないかと思っていた。
しかし本日リリースのエド・シーラン『÷(ディバイド)』は、間違いなくそれに匹敵するアルバム。
これまでのあらゆる経験をあますことなく積み上げて(+[プラス])自分だけの物語を描いたのが一歩目。
さらに、その経験と経験を掛け合わせて(×[マルティプライ])より大きく立体的な物語を生み出したのが二歩目。
そして、その大きく立体化した物語を、より深く聴き手ひとりひとりの人生にアクセスするためのジャストな形に切り分ける(÷(ディバイド)ために、改めてエドが自分の生きてきた経験を紐解いて生み出した三歩目が今作なのだと思う。
その存在はスターとかカリスマといった言葉とは対極、虚構のキャラクターやコンセプトを纏う発想はゼロ、音楽性も一切の現代的な記号を持たないギターと歌を主体にしたシンプルなもの。
生きる、曲を書く、歌う、そしてまた生きる――そのサイクルを誰よりも濃く純粋に行うことで複雑化する時代のスピードを誰よりもガッチリつかまえている、エド・シーランは本当に凄いアーティストだ。(古河)
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