M-1グランプリ2020が教えてくれたこと

接戦の末にマヂカルラブリーの優勝で幕を閉じたM-1グランプリ2020から3日。
最早、M-1はSNSなどを通じて視聴者全員が審査員のような気持ちで楽しむコンテンツにもなっていて、自分は誰が面白いと思ったのか、審査員のジャッジがとうだったのか、漫才とは何なのか、お笑いとは何なのか、様々な意見が日本中を飛び交うことも含めてのエンターテインメントだと言っていいだろう。
そこに感動や安心があっても波乱や衝突があっても、それがM-1だと言えるくらい巨大なものになったと言える。
そんな中で今回のM-1から特別に感じたのは、「勝つこと/負けること」の深さだった。それは放送終了後の会見や反省会や打ち上げの配信からも強く感じた。

マヂカルラブリーは3年前の決勝で最下位に沈み、ご存知の通りかなり厳しい酷評をくらったところからの優勝、野田クリスタルは「最下位とっても優勝することあるんで、みなさん諦めないでください!」と語った。
ファイナルラウンドで接戦となった、おいでやすこがはR-1では辛酸を舐めてきたピン芸人同士のユニットだし、見とり図はリリーが自分たちの決勝での順位予想を2年連続で的中させてしまう冷静さを持っている(来年は2位と自ら予想している)。
優勝候補の一組と言われ、出順も良いところで、王道のネタを安定のクオリティで披露しながら、凡庸な点数で終わってしまったアキナは、すぐにモードを切り替えて優勝候補気分で決勝に臨んだ自分たちについて「恥ずかしい」を連発して笑いに替えた。
敗者復活からのトップバッターという難しい流れだったインディアンスも、最下位だった東京ホテイソンも、健全に「勝ち負け」や点数にこだわりながらも、冷静にポジティブに清々しく結果を受け止めているのが印象的だった。

審査員が優しかったという意見もあったが、コメントやジャッジそのものはシビアだった。
それでも温かい印象が残ったのは、「負けることのポジティブな意味」に出場者が自覚的だった以上に、「お笑い」が何であるかを長年見つめてきた審査員たちが今年はそれを強く自覚していて、常にポジティブに温かくシビアなジャッジとコメントをしているように感じた。 

いずれも理由は一つではないと思うが、まず大きいのは今の日本に笑いを届けることに対して、全員に共通する真摯な思いがあったからだと思う。
そしてもう一つはネットを通じてライブコンテンツをみんなで楽しめる時代において、「お笑い」という批評的なエンターテインメントを提供する側がいち早く成熟した態度を示した、ということじゃないかと思う。

「勝ち負け」に意味がないなんてことは嘘で「勝ち負け」があるから面白い。
でも「勝ち」だけに絶対的な意味を見出そうとすると「負け」を勝ちに捏造したり、勝者を敗者に貶めたいと言う誘惑さえも生まれる。
本当に大事なのは「勝ち」ではなくて「勝ち負け」で、「勝ち」の中にはかつての「負け」が必ず生きているし、「負け」の中にはたくさんのそれぞれの「勝ち」が散らばめられている。
それをわかっていると「勝ち」へのリスペクトと同じくらい「負け」へのリスペクトが生まれる。
M-1グランプリ2020の全出演者と全審査員から僕は「勝ち負け」全体へのリスペクト、そしてそんな真摯な気持ちを持てる「お笑い」の底力を感じた。(古河晋)
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