00s
2010.01.12 18:03
去年末、00sを総括したリスト等が、あらゆるメディアに飛び交ったが、結局、この10年はどう呼ばれているのかが気になる。自分はゼロ年代と呼んでいて、ニセン年代と呼ぶ人も入れば、ゼロゼロ年代と呼ぶ人もいた。英語の呼び方は、なおさらミスリーで、“nought=無、ゼロ”という言葉にかけた“noughties(ノーティーズ)”という造語も見かけるが、これは主にイギリスのメディアが使っている言葉で、アメリカのメディアが使っているのはあまり見ない。この間、オーオーズって呼ぶ人もいたけど、果たしてこれも通ってるかは謎。
ということで、呼び名からしてアンビバレントな00年代は、それ以前のディケイドに比べて、ポップ・カルチャーを括る決定的なムーヴメント等は希薄だった気がする。ただ思うのはやっぱり00年代を象徴するエンターテインメント、特にアメリカ産のものの多くは9・11事件なくしては語れないこと。
そういう意味で、自分にとって深く印象に残った映画は、この2本。
スパイク・リーの『25時』とスティーヴン・スピルバーグの『ミュンヘン』。
2作品とも硬派なエンターテインメント映画であるが、その背景は作り手にとってかなりパーソナルなもの(『25時』はスパイク・リーとは切っても切り離せないニューヨークが舞台で、『ミュンヘン』はスピルバーグが大事にしているユダヤ系の歴史に起きたある出来事を描いている)。そして、そのパーソナルなバックグラウンドに照らしあわすような形で、9・11事件に対するそれぞれの思いが投影されているのが非情に興味深い。
特に事件の1年後に公開された『25時』は、当時、グラウンド・ゼロの生々しい傷跡が映し出されたシーンが話題を呼んだが、そこで交わされる事件とはあまり関係のなさそうなセリフにこそ、9・11に対するスパイク・リーの強い思いがわりと露骨に表現されていて、その凄みにはいつ観ても圧倒される。
もちろん政治的なメッセージを提示するために、フィクショナルなドラマのほうこそに力を入れた絶妙な演出こそ両作品の勝因であり、だからこそ両作品とも、今後、何度も繰り返すことができるだろう。それぞれの主役を演じたエドワード・ノートンとエリック・バナの男臭い演技も大好きだ。(内田亮)