ドナルド・トランプが米大統領に。音楽には本当に力がなかったのか

既報の通り、ドナルド・トランプが米大統領になった。

このウェブサイトのあちこちで報じたように、多くのミュージシャンがいかにヒラリー・クリントンがアメリカの大統領にふさわしいか声をあげ、そして、選挙の日まで行動に出た。選挙の結果が出た今も、彼らによるアクションは続いている。

ブルース・スプリングスティーン、ビヨンセ、ジェイZ、マドンナ、チャンス・ザ・ラッパー、レディー・ガガ。

他にもたくさん、たくさんいる。

彼らは揃って反トランプ、またはヒラリー支持を呼びかけた。

ミュージシャンだけではない。メディアを通して、トランプが大統領にふさわしくないということは何度も報道された。中でも代表的だったのは、USAトゥデー紙が創刊34年の歴史で初めて中立の立場を崩し、トランプに投票しないよう呼びかけたことだった。

アーティストやメディアのそうした努力は、無駄だったのだろうか? 音楽は、力にならなかったのだろうか? トランプを支持する人の心には届かなかったのだろうか?

おそらく、トランプを支持する人の「心」に届かなかったのではない。彼ら自身にそもそも届かなかったということなのだと思う。

ここまで情報が氾濫する今、広がるのは情報格差だ。ニュースを、メディアを通じて読まない人も多いだろう。自分の日々の検索履歴や行動様式などで、自分好みのニュースはすでに選ばれて自動的に配信される。

自分と同じ主義主張、嗜好を持っている人としか繋がらなくても(ネットがないかつては、繋がること自体が難しかったが)十分だし、情報はそこから得れば良い。

かつては、というと、いつの時代でもこんな議論をしていると言われそうだが、あまりにもトランプ当選が異例であることに、こう言わざるをえない。

かつては、パンダは白だ、といえば黒だ、という人がいて、いや、正確には白と黒でしょ、という人もいて、いやもしかしたら違うのでは、という人もいて、それぞれがそれぞれの考え方を肯定したり否定したりしてきた。そして、「そんな考え方もあるんだな」と納得しあうこともあった。しかし今は、パンダは白なら白、黒なら黒、と思い込んだまま、同じ考えを持つ仲間とだけ幸せに生活していくこともできる。それは一見自由だが、怖いのは、本当は何色なのだろうかと疑問を持たなくても事足りるということだ。まるで、メディアが存在しなかった時はこうだったのではないかと想像させられるが、その時ですら、意見交換は行われていたのではないか。

これだけ多様性が謳われ、わずかながらでも少数派に肯定的な社会の仕組が整い始めてもなお、自分と違う意見、ものの見方、そうしたものに出会う機会や好奇心、探究心は、もはや努力しないと得ることすらできなくなっている。

そうした厳しい時代を、この選挙の結果は象徴している。
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