ヒップホップの話  続き

ヒップホップの話  続き

前回の続き。ヒップホップのリリックの話です。
もうひとつ、別の違和感が、私、ありました。

つまりですね。その、「俺はすごい、俺を見ろ」タイプも、
「やるぜ、いくぜ、進むぜ」タイプも、
ヒップホップにしろロックにしろ、音楽活動をしている人の場合、
そのまま、自分の音楽家としての活動と、あと、それに伴う成功や失敗と、
イコールで重ね合わせられるじゃないですか。

だから、「俺を見ろ」「俺はやるぜ」「俺はすごい」とか歌うことによって、成功を目指す。
つまり、「成功するぜ」「成功したいぜ」と歌うことによって、成功を目指す。
という、よくわからないことになっているわけです。

たとえば。Mr.Children、成功しましたよね。
BUMP OF CHICKENも、成功しているといえるでしょう。
でもそれは、たとえばラブソングや、たとえば「どう生きるか」という己の問題意識やなんかを
歌って、それが世に受け入れられ、支持されたことによって成功しているわけで、
「成功したいぜ」って歌ったことによって、そうなったわけではありません。

つまり、すべてひっくるめて大きく言うと、その当時のヒップホップの場合、
己の音楽のテーマが「己が音楽をやること」になっていることが、
多かったわけです。
ね? なんかヘンでしょ?
だから、「すげえぜ俺のフロウ」とか言われると「だからどうすごいのよ」
と思ってしまったり、「このブレイクビーツを聴きな」とか言われると、
「いや、だから、聴いてますけど」と感じたりしていたわけです、私は。

という、ここまでの記述でもわかっていただけると思うが、
ただし、嫌いだったわけではありません。だったら聴かないし。
好きだし、かっこいいと思うし、だから聴くんだけど、そのへんに
なんかずっと違和感があった、という話です。


で。ようやく本題です。
先月、曽我部恵一のROSE RECORDSから、1stアルバムをリリースしたMOROHA。
ラッパーとアコースティック・ギターの2人だけでヒップホップをやる、
このユニットの何がおもしろいって、その、僕が思うところの
「ヒップホップの違和感」のみをテーマにして、音楽を作っているところだ。

MOROHA/MOROHA
ROSE 110  ROSE RECORDS
10月21日リリース ¥2,100

全10曲、とにかくもうほとんどが、

田舎から東京に出てきて音楽をやっていて、絶対に成功したい

ということについての歌なのです。
それを直球で吐き出している曲もあるし、CDショップとかYoutubeとかを
切り口にしている曲もあるが、全部テーマはそれ。
失恋ソングもあるけど、「せめてあなたが一番好きになった人に贈りたいと
思える歌を歌える人になりたい」と、ミュージシャンである自分に着地して終わったりするし。

要は、すべてが「東京で音楽活動をやってるけどどうもパッとしない
アマチュア・ミュージシャン」のドキュメンタリーなのです。
「ドキュメンタリーでしかない」とも、いえます。

前述の失恋ソング「涙(かわ)」と、家庭を持つために
音楽をやめた友人に捧げたと思われる「Brother」は、
まあ、まだ「物語」として共有できるレベルだけど、
あとの8曲は、ほんと、このラッパー、アフロ(という名前です)の、ただのドキュメンタリー。

特にすごいのは、
「行くぞ」
「俺のがヤバイ」
「イケタライクヲコエテイク」
の、3曲です。

「行くぞ」は、アフロが、相棒であるアコースティック・ギターの
UKに宛てた手紙みたいな、感謝の言葉の羅列。
「安くなっちまうんだけど感謝してるよ」とか、
「相方の彼女さん本当にごめん デート時間かなり奪ってるわかってる」とか歌った挙句、
「次の練習は日曜 町田のカラ館で落ち合おう」で終わる。
あのー、ぜんっぜん共有できません。
親への感謝とかなら、まだ自分に置き換えようがあるけど、俺、相棒、いないし。
あと、ライブでこの曲をやる時、UKは、自分に捧げられているリリックに合わせて、
ギターを弾くわけですよね。
一体、どんな気持ちなんだろうか。

「俺のがヤバイ」は、すごいミュージシャンや、売れてるミュージシャンを見るたびに、
「俺のがヤバイ 俺のがヤバイ」ともう呪文のようにくり返し思うんだ、みたいな歌。
まさに、前回書いた、「だから、どうヤバイのよ!?」とつっこみたくなる、
その結晶みたいな曲です。

究極は、「イケタライクヲコエテイク」。
タイトルどおり、友達を自分のライブに誘って「行けたら行く」って
言われて、来てくんない、というのがまず大元のテーマとしてあって、
「でも、そもそも友達を客とみなして金をとってる自分って何?」
とか、
「それなんかすんげえみっともないことじゃない?」とか、
「そうまでしてやる音楽活動って意味あんの?」というような、
己の逡巡まで赤裸々にさらしながら、それでもやるんだよ、というような歌。
もう、痛いです。
アマチュアで音楽活動をやったことがあって、チケットノルマや
増えない動員に苦しんだことがある人、もしくはまさに今そうである人は、
耳をふさぎたくなること必至だと思う。リアルすぎて。

総じて、まさに、「音楽をやることについて」の音楽。
たとえるなら、東京から大阪に新幹線で行く時、
普通、大阪に用事があるわけですよね。
目的は、その、大阪での用事です。
でもこのMOROHAの場合、「東京から大阪まで新幹線に乗ること」
自体が目的になっているような、
「だからさあ、大阪で何すんのよ? 何しに行くのよ?」みたいな、
「いや、そんなこと言われても、今は大阪まで行くことで頭がいっぱいなんで」みたいな、
そんな本末転倒な構造で、音楽が成り立っている、ということです。

それが、すんげえおもしろいのだ。
というか、さっき「共有できない」って書いたけど、共有できない曲でも、リアルにわかるのだ。
むしろ「これはみんなのことです」みたいに風呂敷を広げた音楽の方が、
かえって「リアルにわからない」んじゃないかなあ、みたいなことまで、
聴いていると考えさせられたりもする。

たぶん、今の自分が、最も強く、本気で歌えることを探した結果、
このスタイルに辿り着いたんだと思う。

というリアルさも含め、この構造の妙さも含め、おもしろいし、
感動的だし、おすすめです。


あともうひとつ。
そういう音楽であるがゆえに、このMOROHAって、将来、もし売れて認められたら、
その瞬間に、音楽を作る動機を失うことになります。
売れてんのにこの曲たちを歌っていたら、ただの嘘つきというか、
もう限りなくサムいと思う。
そうなったら、別の動機で曲を作るしかない。
でも、それで、今みたいにインパクト満載のすばらしい曲を作れる保障は、どこにもない。

売れたらどうするんだろう。
どうするか見たい。
というのも含めて、みなさん、MOROHAのCDを買ってみませんか。
そこまで含めて、徹頭徹尾ドキュメンタリーな存在、
それがMOROHAかもしれないので。
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