ヒップホップの話

ヒップホップの話

昔、ヒップホップというものを知って、最初に、不思議に思ったこと。
リリックに関してでした。

最近はそうでもなかったりするが、80年代の黎明期から90年代あたりまでの
ヒップホップのリリックって、洋楽も邦楽も共通で、以下の2タイプが多かった。

・「俺はすげえんだ」「俺を見ろ」「俺最高」みたいに、
己の価値の高さを主張し、注目することを促すもの

・「やるぜ」「いこうぜ」「みんなぶっつぶして進むぜ」みたいに、
己のバイタリティをアピールするもの

この2つ、実は私、最初から違和感を持っていました。
何故か。どっちも、目的語がないからだ。

つまり、「俺はすげえ」って、何がすごいの?
「やるぜ」「いこうぜ」って、何をやるの? どこに行くの?
という疑問です。

たとえば、
「ストリート・ファイトでヒョードルと引き分けたんだぜ」
とか、
「ルービックキューブを60秒で6面揃えられるんだぜ」
というふうに、具体的に「すごさ」を提示されれば、
「ああ、すごいねえ」とか、「いや、それそんなにすごくないんじゃないの?」
と、リアクションできるが、「すごい」とだけ伝えられても、こっちは、
納得して飲み込むことも、異議を申し立てることもできない。
つまり、気持ちが宙ぶらりんになるわけです。

「やるぜ」「いこうぜ」の方も然り。
何をやるの? どこに行くの? っていう話です。

でも、こっちは、考えたら、別にヒップホップに限った話ではない。
ロックとかポップスだって、「夢を持って進んでいこうよ」
「がんばってやっていこうよ」「前へ歩いていこうよ」みたいな歌詞は、ゴロゴロある。
ただ、ロックやポップスだと、そのメッセージが聴き手に向けられており、
「で、何をやるのか」とか「どこへ進んでいくのか」というのは、
聴き手によって異なるだろうから、それぞれが自分にあてはめて
解釈してね、みたいな、ふわっとした感じになっている。
でも、ヒップホップの場合は、基本的に「俺」という一人称の世界で
言葉が綴られるので、「で、何をやるの?」「どこにいくの?」というのが、
気になってしまうわけなんだなあ。と、解釈します。


で。前者の「何がすごいの?」に関しても、その疑問を持ってから数年後、
1998年くらいだったと思うが、当時僕が所属していたBUZZという雑誌で、
BUDHA BRANDのDEV LARGEのインタビューがあって、
それを読んで、とても納得した覚えがあります。

彼は、子供の頃、親の仕事の都合かなんかでニューヨークに引っ越して、
そこですごいカルチャーショックを受けたそうだ。
アメリカで、しかもニューヨークだから、学校だろうが街だろうが、
とにかく自己主張しないと始まらない世界だった、と。
根拠があろうがなかろうが、とにかく「俺が俺が」「俺すげえんだぞ」と
アピールしないと黙殺される、ということを、肌で知ったと。
だから、ヒップホップのああいうリリックのノリが、
よくわかるというか、自然に身になじむ――みたいな話だった。


書いているうちに長くなってしまったので、次回に続く。
写真は、日本のヒップホップのごく初期に、
「だから、あれをそのまま、日本育ちの日本人がやっても
リアルじゃないんじゃない?」ということにいち早く気づいた、
だからああいうスタイルを生み出したんだなあ、という人たちの、
今のところの最新オリジナル・アルバム。
スチャダラパー『11』。2009年3月のリリースでした。
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