たったひとつのことのためにすべての演出があり、すべての曲があり、すべてのメロディがある。
すべてのアイディアも、すべてのライティングも、そしてあの凄まじいセットも、すべてはたったひとつのことのために存在している。
それは、ただエンターテインメントであれ、ということだ。
エンターテインメントの名の元に、あの人懐こいメロディもあのファンタジーの世界観も、あるいは新曲のあのダークなビートもハードなメッセージも平等に存在している。
4人の思いが色濃く注がれた曲はとても強いメッセージを持っているが、その匂いをエンターテインメントへのピュアで貪欲な欲望が超えていく。
その超越のメカニズムが抜き抜けた解放感をセカオワのライヴにもたらしている。そう思う。
今日の「Twilight City」にもやはり凄まじい解放感を感じた。
この解放感はすべてのオーディエンスが完全に平等である、という状態が生み出しているものだ。
セカオワのライヴに難しいリテラシーや経験則による「解釈」など必要なく、ただ誰がどう観てもすごさが伝わり、そしてすべての人の期待が残らず叶えられていく。
セカオワのライヴが素晴らしいのはそこだ。
圧倒的なエンターテインメントを前に、世代も性別も人生経験も思想もない。
ひとりひとり別々の尺度を飲み込んでいく「すごい!」があるだけだ。
明日もあるので細かくは書かないが、これまでにない、最高峰からの景色を見せてくれる凄まじいライヴであったことはちゃんと書いておきたい。
明日も行きます。
SEKAI NO OWARI、日産スタジアム「Twilight City」を観た!
2015.07.19 00:07