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    ヒトリエを観て思った、空気を共有するということ

    ヒトリエを観て思った、空気を共有するということ

    ようやく観ることができた。
    ヒトリエ@下北沢GARDEN。
    なんというか、今観ることができて本当によかったと思った。
    何かが爆発する寸前の、ふつふつとした不穏なテンションに満たされた時間だった。
    それはどこかインモラルな集会に参加しているような気持ちにさせられてしまったくらいだ。
    そんな強く鋭い快感を与えてくれるバンドは、いうまでもなく、そうはいない。

    wowakaによる楽曲は、ボカロPといわれたときに連想するようないわゆる物語的な世界観を持っているが、先立っているものはきっと、「物語」そのものや、それによる体験の共有、ではないだろう。
    もっともっと直接的な、時代に対する違和感やフラストレーション、あるいは、無責任な言い方になってしまうが、それこそ「言いようのないもの」なのだと思う。
    だから、ヒトリエは無数の言葉と情報と衝動的なフレーズを詰め込み、そうすることで彼らが感じている「この感じ」をヴィヴィッドに伝えようとする。
    それが物語になるのは、物語には多くのヒントや解釈の選択肢を仕掛けることができるからだ。
    つまり、自由な言葉の連続でいられるからだ。
    自分はそう思っている。

    ライヴはまさに「空気」が共有されているような、不思議な一体感のあるものだった。
    若いオーディエンスにとっての、何かを共有するための「場所」にすでになっていて、これは本当にきっかけひとつ、という感じがする。
    繰り返しになるが、今彼らを観ることができて本当によかった。

    この曲、”SisterJudy”が始まった瞬間のインパクトは相当なものだった。
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