アニマル・コレクティヴ、「Strawberry Jam」に続くニュー・アルバム、
「Merriweather Post Pavilion」の日本初試聴会に参加してくる。
現在のアメリカン・インディー・ミュージックの文体を大胆に刷新し規定してきた、
「アニマル・コレクティヴ言語」の大幅な変更、というものはなかった。
しかし、それにもまして、いや、そんなことがどうでもよくなるくらい、
その言語の語るものの容量と密度が破格に上がっている、
そのことこそがむしろこのアルバムと、
それが物語ることの「ことの大きさ」を示していたと思う。
彼らの音によって、いったいどれだけの「デザイン」の自由度が拡張されただろう。
彼らの存在によって、いったいどれだけの「姿勢」の自由度が許されただろう。
アニマル・コレクティヴは、その意図が意識的か否かにかかわらず、
いわば、まさしく希望となっていた。
それは、とりもなおさず、2000年以降の希望ということであり、
つまりは、ブッシュ時代のアメリカの希望、ということであった。
前にAUについて触れたブログで書いたように、
オバマへの熱狂というのは、ブッシュへの反動だった。そして、それは、
驚くほど閉塞感の増したこの世界からの、慟哭のようなものに見えた。
アニマル・コレクティヴへの加速度的な期待というのも、
決して違うものとは言い切れないと思う。
なぜならその音は、ブッシュの世の中から聞こえてくる音ではなくて、
そうではない(あるいは、そうでなければなんでもよい)別の音によって
切実に自分と仲間たちの「新たな居場所」を作ろうとしたもの、だったからである。
このアルバム「Merriweather Post Pavilion」は、
そんな切迫した思いがかつてない緊張感となって表出されたアルバムだった。
だから、そこには彼ら特有のすき間やちょっとしたくすくす笑いのようなものは
なかった。けれど、逆に、そこには見たこともないような材料とか素材とかで
できた、なんともたくましい「世界」が現れたのである。
そう、自分たちで作った、別個の倫理の世界というようなものが。
まるで、集団でひきこもりしている連中のワンルームを開けてみたら、
四方八方に光を放つ眩しい宮殿が出来ていた、
そしてそれはなんとも清々しく居心地のよさそうな・・・そんな感じだった。
アメリカでは1月、日本では2月のリリースとのこと。