Gorillaz解禁!

Gorillaz解禁!

アルバム・レビューが解禁されましたので。以下、試聴時のメモです。

まず、1曲目「オーケストラル・イントロ」は、その名のとおりストリングスによるゴージャスなこのアルバムの序曲。波の音、カモメの鳴き声、遠くを行き過ぎる船の汽笛といった海辺のノイズと、流麗な弦楽器の調べによって、われわれはこの「プラスティック・ビーチ」に招き入れられる。とにかくスケールのでかいイントロ。
われわれを歓迎するのは、スヌープのぬめぬめとしたラップが強烈な「ウェルカム・トゥ・ザ・ワールド・オブ・ザ・プラスティック・ビーチ」。この2曲の展開で、このアルバムがまっすぐに「物語」を描き出す作品であることを明確に告げる。
かつて「黒いディラン」Gil Scott-Heronは「革命はテレビ放映されない」と言った。しかし、「ホワイト・フラッグ」でゴリラズは「革命はテレビ放映される」と宣言する。時代と世界が移り変わったこの架空のビーチに楽園が誕生する。
続く「ラインストーン・アイズ」は、南洋のムードたっぷりの、海辺のけだるさが漂うナンバー。
そして、モス・デフ参加の先行シングル「スタイロ」へ。ここで初めてデーモン登場。しかし、なんといってもボビー・ウーマック! 超キンキンにクールな、しかし火傷寸前のパッション! こういうのを聴くと、ゴリラズが、現在のロックに横溢する「サバービアな空気」から百億光年隔絶した、徹底的に「都市型」の緊張感を内在させた音楽なのだということを痛感する。
ボビーのディスコから夜が明けて、デ・ラ・ソウルとグリフ・リースが朝を告げる。なんか、「サージェント・ペパー」みたいだ。
そして「エンパイア・アンツ」へ。デーモンがリトル・ドラゴンのユキミ・ナガノとデュエット。太陽が降り注ぐ中で愛が囁かれる。というか、このアルバムのテーマが、そのような「異様な世界における、わたしたちの愛の行方」なことがわかってくる。デーモンの旋律がいい。
ヘヴィなビート、つまりはニュー・ウェイヴ!な「グリッター・フリーズ」に登場するのは、ニュー・ウェイヴの真打マーク・E・スミス! いいなあ、この声。
そして、さらにはルー・リードが登場。「サム・カインド・オブ・ネイチャー」。2010年のヴェルヴェッツが現出。バック・コーラスにデーモン。
アルバムのひとつのクライマックスが続く「オン・メランコリー・ヒル」。デーモンのメランコリアが爆発する。80年代シンセ・ポップのようなナンバーに、「All We Are Is Stars」のフレーズ。
しかし、それは壊れる。「ブロークン」。
そして、再びモス・デフが登場、ポスト・リーマン・ショックの世界を執拗に描く「スウィープステイクス」。長い長いループ。だんだんファンクへと変化していく。強烈。
そして、タイトル・ソング「プラスティック・ビーチ」へ。ダンディなギターとベースを奏でているのは、ミック・ジョーンズとポール・シムノンの元ザ・クラッシュ・コンビだ。繰り返される「It’s a CASIO on a PLASTIC BEACH」というフレーズ。プラスティックなビーチ。それはそもそも矛盾であり、破綻するものなのだ。2010年の「ロンドン・コーリング」はしかし、そのような場所で歌われるのである。
再びユキミ・ナガノを迎えて、「トゥ・ビンジ」へ。デーモンとの交互のデュエット。南洋のビーチ。また、デーモンは「虚無」を抜けてきたのだ。
そして――。未知なる雲の上で、「クラウド・オン・アンノウイング」で、また朝を待つ。つまり、「明日」を待つのだ、デーモンは! 見上げる天空から希望の声を降らせるのは、ボビー・ウーマック!
最後は「パイレート・ジェット」。冒頭のストリングスがまた鳴る。あの騒々しくも楽しく哀しい始まりの世界に、またわたしたちは戻ってきた――。
*日本盤にはもう1曲、ストリングスのインスト「パイレーツ・プログレス」が収録。その終わりもまたよい。

……というのが、試聴しながら書いたメモ。聴きながら心の中でひゃーひゃー言いながらメモしているものなので、印象とかそのほかもろもろ正確なものとはとても言えない。
けれど、すばらしく普遍的で、しかし、音楽的には刺激的なアルバムとは断言。聴き終わった後2キロくらい痩せた気がした。
こんなふうにゲストの多い作品は、面白みはあっても散漫になりがちだけど、そんなことが全然ない。というのも、作品自体が演劇的、映画的な話法に法っているので、ルー・リードだろうがマーク・E・スミスだろうが、ほぼそのままで立派な劇中キャラになっている。
でも、一番感動的だったのは、デーモン・アルバーンだった。こういうことを書くと怒られそうだけど、いままでのゴリラズはどこか「借り物」というか、もっと言ってしまうと「ブラーでないもの」という意志がどこかに潜んでいるものに聴こえていた。そもそもが架空のキャラクターを設定していることもそうだし。そして、エスニックにしろヒップホップにしろ、ブラーでないものをかき集めて新たなデーモンを建設しようとしているように見えた。
それが、今回見事にないのだ。というか、そういった音楽的要素はいままで以上に取り入れられているにもかかわらず、そのすべてがデーモンの音になっている、そんな確信に満ちた音だった。ということは、ここでようやくデーモンは、ブラーではない新たな、しかも確固としたデーモン・アルバーンを創造しえたということである。その勇姿がなにより眩しかったのだ。
そして、その強度を持った新たな心身で、彼は彼の永遠のテーマをまた紐解いている。それはつまり、虚ろなこの現実にあって明日はどうやって獲得されるのかということだ。このアルバムでは、それが聴こえていた。
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