そして――。今夜はウィーザーのセカンド・アルバム『ピンカートン』の再現ライブを観に連夜のZepp Tokyo。今夜も昨夜同様にみっちみちなフロア。このバンドは、そんなふうな「かけがえのないアルバム」を2枚も持っていることの幸せがもう愛おしい。
1曲目に『ハーリー』から「メモリーズ」が投下。これがこの「企画」実現の答え。その後に展開された前半のベスト・ヒット・セットのサプライズは臆面も無く披露されたレディオヘッドの「パラノイド・アンドロイド」のカバー、といいたいところだけど、ファンなら間違いなくこの曲を演ったことを挙げるだろう。そう、「You Gave Your Love To Me Softly」! 『ピンカートン』のリード・シングルだった「エル・スコルチョ」のBサイドに収録されていたあのナンバーをここで演奏したのですよ、みなさん。後半の『ピンカートン』再現編に余力を残そうとちょっとばかし高をくくっていたオールド・ファンが蜂の巣をつついたように狂喜したのはむべなるかな。だって、「ベイベー、ドンチュー・クライ」だもの。もちろん、僕もそのひとりでした。
今日もインターミッションにはカールのスライド・ショーのコーナーが。今宵も数々のメモリアルなショットが公開され、ため息ともどよめきともつかぬ声が会場を覆う中ひときわな沸点が訪れたのは、初来日時の写真が映し出されたとき。「確実にその日、その場所にいた」という長年のファンの思いが、満場のフロアのあちこちでまるで閃光でも放つかのようにビビッときました、はい。もちろん、僕もそのひとりでした。渋谷のクラブ・クアトロで「出待ち」して撮ったモノクロのショット群は、当時の『rockin’on』に掲載しました。センター街のはずれでようやく来日してくれたバンドが出てくるのをじっと、でも異様な空気で待っていた当時のファンのみなさんの眼のことは、今でもマジに覚えています。
さて――。今夜もつとめて冷静に観ていた『ピンカートン』ライブの最中、「やばい、ダメだ。降参だ」となったのが、「アクロス・ザ・シー」。「日本の小さな街に住む18歳の女の子」との、海を越えたコミュニケーション。みなさん、これがロックです。この、「夢見るようなコミュニケーションの奇跡」と、「歯軋りするほどのコミュニケーションの苦悶」がロックなのです。「僕にはキミの手紙があり、キミには僕の歌がある」――。このフレーズに向け会場全体から掲げられた手の海の中でぽつんぽつんと、じっと微動だにせずその意味をかみ締めていた貴方、そして貴女。その姿に、隣に山崎洋一郎がいることもお構いなしに滝の涙を流した宮嵜でした。
ラストはもちろん「バタフライ」。リヴァース・クオモは独りアコギを抱えて歌いました(バンドはハけ、ドラム・セットに座っていたのは、1992年からウィーザーに付いていた、「スライド・ショー」のカールさんだった、というのも泣かせる)。最後にリヴァースは、「アイム・ソーリー」と歌う。そう、何度も何度も「ごめんなさい」と歌う。そして、ライブは終わりました。
「ごめんなさい」。ロックとは、アナタとの間に大きく開いた断絶の岸壁の切っ先で、ただ「ごめんさない」と言いつづけることにひたむきに耐えることのなのかもしれないと、そう思いました。
『ピンカートン』の国内盤のライナーノーツを、僕は1996年の8月23日に書いていました。今おそるおそる読み直してみたのですが、そこに書かれていたことは、恥ずかしさの余りおしっこ漏らしそうになるくらい、変わってないなと思いましたよ、はは。
今夜のライブレポートも、粉川しのが書きます。明日アップの予定です。お楽しみに。