僕がこのブログでTHEラブ人間について書くのは去年の8月以来。そのときはシングル『じゅんあい/幸せのゴミ箱』について書いたのだった。
http://www.ro69.jp/blog/ogawa/107175
新しいメンバーになって、原点を取り戻すような衝動と感情をもったシングル。で、あれから1年ちょっと。その間、ラブ人間はとても活発に、大胆に、動き続けていた。今年5月には『きっとずっと彼女は友達』というミニアルバムをリリース、彼らのライフワーク「下北沢にて」もこれまでにない広がりを見せ、バンドとして活動の基盤が再び固まってきたのは見ていてとても頼もしかった。
折にふれてツネや金田からは連絡をもらって、音源を聴かせてもらったり、ライヴを観に行ったりしていたんだけど、それについてはここに書かないできた。なぜか。確かに、バンドとしての一体感はぐんぐん増しているのが分かったし、曲はどんどんポップになっていくのも分かったし、金田康平がフロントマンとしてスケールアップした存在感を放ち始めているのも分かってはいたけど、同時にそこには生まれ変わろうとするラブ人間の試行錯誤もちらちらと見えていたからだ。それはそれでリアルで熱くてよかったんだけど、なんというか、ちょっと無理して未来に期待し、明るく振舞っているような感じもしていた。それを抜けた先に本当の意味での新しいラブ人間がある気がして、それを待っているような気分だったのだ。
そして、先月リリースされた新作『恋は全部まぼろし』で、僕は新しいラブ人間に出会った。
↑この“クリームソーダ”で始まり、
↑この”いつも愛し合ってばかり”で終わる『恋は全部まぼろし』(正確にはそのあとリミックスが入っているけど)。
前作『きっとずっと彼女は友達』は「きっと」という言葉がタイトルに使われていることからもわかるように、「こうなりたい」とか「こうありたい」という願望のミニアルバムだった。そこから進んで、『恋は全部まぼろし』には確信しかない。今自分が信じるもの、今自分を形作っているものは「これ」だという確かな感覚。『恋は全部まぼろし』という言葉は”クリームソーダ”の歌詞の一節だが、それは「今までの恋は全部まぼろし」というフレーズの一部だったりする。過去を踏みしめて立つ「今」に対する全肯定。”いつも愛し合ってばかり”の「いつも」もまた、現在を指し示す言葉だ。THEラブ人間は再び「今」を生き始めた。だからそのメロディにも歌詞にも演奏にも、ちゃんと質量と体温がある。
11月22日・23日には「下北沢にて」も開催。いろんなピースがはまってきた感じがする。
THEラブ人間『恋は全部まぼろし』:今を生きる恋に
2015.10.07 10:52