いつもなら明日最新号が発売のロッキング・オンですが、フェス特集掲載につき9月5日発売となります。
デヴィッド・ボウイ表紙巻頭の9月号を読み逃し&買い逃している方はお早めに。
その核となるのは、やはり 『ロウ』『“ヒーローズ”』『ロジャー』というベルリン時代のドキュメントだ。
心身ともに過酷な状態にあったボウイが、ひとりの人間として生き延びるために自身の内面と徹底的に向き合った末に生まれた、いびつで、生々しく、ピュアなアート。それが時代を超えて、未来へのインスピレーションになっていることが、彼の才能のすさまじさである。
ファンなら絶対に保存しておきたい、究極の1冊であることは、以下の彼自身の発言からわかっていただけるはず。
●1975年、狂乱のLA時代
「僕が大麻ごときでパクられるとは、酷い皮肉もあったもんだ。僕はあれをやると具合が悪くなるって言うのに」
「あの当時、LAには何か得体の知れない不気味な空気が蔓延していたんだよ。(チャールズ・)マンソンとかシャロン・テイトの殺人事件のいやな残り香が漂っていてね……」
● 『ステーション・トゥ・ステーション』ツアー
「一般大衆っていうのは、自由が欲しいと言いながら、いざそのチャンスを与えられると、彼らはニーチェをやり過ごしてヒトラーを選ぶんだ」
「(シン・ホワイト・デュークは)単なる道化だよ……1976年の大いなる悲しみをまとった永遠の道化だ」
●ベルリンでの日々
「ベルリンはクールな黒い服の発祥の地なんだよ。アート系のバンドはこぞってベルリンでプレイしたがったもんだ」
「年老いた偏屈なドイツ人たちがわんさか住んでる、時代に取り残されたような田舎の村が大好物なんだよ。
僕ら(ボウイとイギー)はよくあちこち迷い込んだもんだ。そうやってアメリカの破片をひとつ残らず洗い流したくてね」
●『ロウ』
「総じて言えば、僕は『ロウ』から、絶望のヴェールを通して確かな楽観的空気を感じるよ。自分が元気を取り戻そうとしてもがいているのが聴いていて分かるんだ」
「(“サウンド・アンド・ヴィジョン”は)究極の隠遁ソングだよね……。当時の僕はそれは悲惨な時期を過ごしていて、どこまでも真っ青な壁に囲まれて窓にブラインドの下りた、冷え切った小さな部屋にひとりでぽつんといたいと思っていたんだ」
●『“ヒーローズ”』
「(レコーディングの間は)しょっちゅう笑い転げては床に倒れ込んでたよ。レコーディングに費やした時間を振り返ってみると、毎時1時間のうち40分は涙を流して笑ってたんじゃないかな」
「自分が本来なるべきだった自分に立ち戻ろうとしているように感じていた……“ヒーローズ”はあの曲の中の登場人物に関する歌であると同時に、僕自身に関する歌でもあるんだ。『僕らはきっとここから抜けられる、僕は大丈夫だ』ってね」
●『ロジャー』
「『ロウ』や『“ヒーローズ”』と比べてしまうと相当な難産になってしまったんで、トニーが多少やる気を失ってたんじゃないかな。
それでも僕は未だに、『ロジャー』にはとても重要なアイディアが幾つも詰まっていると思ってる」
●ベルリン三部作について
「ある意味では、悲しいことに、あのアルバムたちは当時の他のどんなものよりも、僕らみんなが決して現実にはならないと分かっていた未来の姿への憧れの音楽による具現化だったんだよね」
「あんなサウンドをしてる作品は他には存在しないよ。どんなものも、足元にも及ばない。
もし僕が今後もう二度とアルバムを作れないとしても、今はもうあまり気にならないよ、僕の完全体があの3枚のアルバムの中に入っているからね。あれが僕のDNAなんだ」
さらに、共作者ブライアン・イーノはこんなふうに当時を語っている
「仕事中のボウイは非常に特異なモードに突入するんだ。食事をしないんだよ。僕にとっては何とも奇妙な光景だったね。
そこそこ世間に知られた有名人2人が、朝の6時にふらふらしながら家に辿り着いて、ボウイの方は生卵をひとつ、口の中に割り入れて、それが事実上彼が一日に摂取する栄養素の全てなんだ。あれは気色悪かったよ」(ブライアン・イーノ)
3万字近い膨大なテキストにつき、立ち読みはよほど根性&体力がないとできないと思うので、一部を特別に抜粋しました。
彼の心と身体が健全さを取り戻していく様子が、この言葉からも伝わってくる。
10月には80年代のボックス・セット『ラヴィング・ジ・エイリアン』がリリースされる。その前にぜひ読んでおきたいテキストだと思う。
このベルリン時代の集大成ともいうべきライブ盤『ウェルカム・トゥ・ザ・ブラックアウト』がまた素晴らしく、酷暑の8月に何度も聴いたので、それについてはあとで書きます。(井上貴子)
ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。