ステレオラブが到達した未来への希望をひもとく。15年ぶりの新作は、定義なき時代のサウンドトラックか?

ステレオラブが到達した未来への希望をひもとく。15年ぶりの新作は、定義なき時代のサウンドトラックか?

現在発売中のロッキング・オン7月号では、ステレオラブの新作ロングレビューを掲載しています。
以下、本記事の冒頭部分より。



文=木津毅

いま、ステレオラブを聴くことの意義は何なのか。再始動、そして15年ぶりの新作の報が出てからそのことをずっと考えている。現代から振り返った時、彼らは確かに90年代のイギリスを代表するレジェンダリーなバンドのひとつだが、オアシスの再結成で沸き立つ25年のムードとも一線を画している。そもそも90年代当時からブリットポップに浮かれるイギリスの中でも異質な存在であった彼らが、この20年代において、90年代に対する感傷的なノスタルジーや若い世代からの素朴な憧憬とは異なる場所にいるのは理に適っていると言える。とはいえ、単純にアルバムのリリースでは15年の空白があったのも事実。かつてポストロックの先駆けと評され、その先見性が買われていたステレオラブが、いま同時代性を持ちうるかは重要な問いだろう。

ブリットポップなどの大きなムーブメントからは距離を置いていたと書いたが、90年代初頭の活動初期にはクラウトロックからの強い影響を受け、次第にフレンチポップ、イージーリスニング、ファンク、ジャズ、エレクトロニカなどをミックスして音楽性を拡張していったステレオラブは、ある意味非常に90年代的なバンドだったとも解釈できる。引いた視点で見れば自由な発想でジャンルをミックスしているという点でUSのベックらとも並べられるし、日本ではいわゆる渋谷系の周辺にも強い影響を与えたともされている。つまり、過去の音楽を参照しながら新しいものを創造するという90年代の音楽シーンにおいて重要だった命題に取り組んだのがステレオラブであり、そうした実験主義的な知的さはドライと言われることもあったが、それこそポストロックを代表するトータスらと共にロックを前に進めたバンドであることは間違いない。さらに言えば、ステレオラブは確かに先鋭的だとされた過去の尖った音楽を引用/参照していたが、小難しい実験ばかりに終始することなく、ポップな感覚も持ち合わせていた。彼らの音楽を評する時にしばしば持ち出される「アバンポップ(アバンギャルド+ポップ)」というタームは、語義通りに彼らが前衛性と大衆性を融合させるグループであることを言い当てている。フレンチポップの引用などから、特に日本では「オシャレなもの」として彼らを聴く向きもあったが、それはある意味でステレオラブのキャッチーな部分だったとも捉えられる。

09年に活動休止を発表した彼らが、本格的に活動を再開したのは19年のことだった。フェスティバルへの出演や過去作のリイシューがそのタイミングであったのだが、その時リアルタイムで知らなかった若い世代からも発見されたと聞く。ストリーミングサービス以降ジャンルミックスが当たり前の時代になったことで、ステレオラブのサウンドがより理解されやすくなった部分もあるかもしれない。いかに彼らが先駆的なバンドであったかが、クリアに伝わるようになったのだ。

そして、そんな抜群のタイミングでリリースされたのが新作『インスタント・ホログラムズ・オン・メタル・フィルム』というわけだ。聴けば、まるで15年のブランクなどなかった様に、実に「ステレオラブらしい」サウンドが展開されている。(以下、本誌記事へ続く)



ステレオラブの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』7月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

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