世界はディアンジェロ「以前」と「以降」に分かれている――伝統と革新をミックスし、ソウルを現代に刷新したグルーヴの魔術をひもとく追悼論考

世界はディアンジェロ「以前」と「以降」に分かれている――伝統と革新をミックスし、ソウルを現代に刷新したグルーヴの魔術をひもとく追悼論考

現在発売中のロッキング・オン12月号では、ディアンジェロの追悼論考を掲載しています。
以下、本記事の冒頭部分より。



文=つやちゃん

そう、ディアンジェロの凄みとは、リズムとそれにまつわるグルーヴである。元パートナーであるアンジー・ストーンはじめ、数々のソウル界のスターの訃報が続いている今年だが、彼ほど黒人音楽のリズムにおいて物議を醸し尊敬を集め、孤高の存在として居続けたミュージシャンもいない。長いブランクを挟んでリリースされる作品群は、じわじわと時間をかけて世界中に浸透し、その度に影響力を拡大していった。

実はそういった人は多いと思うのだが、私は以前、ディアンジェロの凄さがよく分からなかった。初めてきちんと作品を聴くことになったのは2000年代半ばだったのだが、好きなミュージシャンが皆こぞって『VOODOO』を傑作だと崇めていて、どんなに凄いアルバムなのだろうと勇んで聴いたのだがいまいちピンと来ない。当時の自分はサウスヒップホップの盛り上がりに影響を受けラップミュージックやR&Bを聴くようになり、黒人音楽にどんどんのめり込んでいった時期だった。そこからいわゆる名作と呼ばれる作品を掘っていったのだが、なぜかディアンジェロだけは全く良さが分からなかったのだ。ただ、私はいささか頑固な性格で、これほど皆が良いと言うのだからきっと何かが凄いのだろうと、毎日何時間も『VOODOO』だけ流し続けることを繰り返した時期があった。いわば、ディアンジェロ耐久レースみたいなものだ。すると、1週間経ったくらいで、朝目覚めて流した瞬間にふと『VOODOO』がとてつもない気持ち良さとともに聴こえてきたのだ。恐らく、積み重ねた聴取体験がどこかのタイミングで閾値を超え、快楽に転じたのだろう。その日の気温や湿度、天気、空気の涼しさや柔らかさといった複雑な条件が重なり、繰り返し聴いたその経験が身体に気持ち良いものとして染み入ってくる瞬間があった。私はその時、ディアンジェロとようやく出会えた気がして、深い感動を覚えたのだ。とにかく、音が気持ち良い。そうなると、それまでボーっと観ていた“Untitled〜”のMVも、意義深さが少しずつ理解できるようになった。ディアンジェロがほぼ裸でカメラの前に立ち、官能的に歌う映像は、R&B=性的表現というステレオタイプを知的に裏返す挑発だと、感覚的に理解できるようになったのだ。これは単なるセクシーマーケティングではなく、黒人男性の肉体を主体的に再提示するという歴史的にも強烈なジェスチャーである——そういったことが、共感とともに腹に落ちて納得できるようになった。

それ以降、ポップミュージックやブラックミュージックも大きな変化の道をたどり、私自身もさまざまな音楽を聴くにつれて、どこかのタイミングで閾値を超えて身体に入ってきたディアンジェロの快楽性というものが、より理性的に説明できるようになっていった。つまり『VOODOO』は、すぐに分かる快楽ではなく、分からない時間を含めて音楽として成立しているのだ。音楽を、即座に理解できる快感から、身体が慣れていく快感へと移行させたのである(以下、本誌記事へ続く)



ディアンジェロの記事は、現在発売中の『ロッキング・オン』12月号に掲載中です。ご購入はお近くの書店または以下のリンク先より。

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