没後10年、J・ディラの人となりを感じさせるニュー・アルバム『ザ・ダイアリー』について

没後10年、J・ディラの人となりを感じさせるニュー・アルバム『ザ・ダイアリー』について

先頃行われたディアンジェロの来日公演では、開演SEとして、ディアンジェロ自らがセレクトしたというJ・ディラのトラックの数々が用いられていた。そうか、ディラがこの世を去って10年か。今でも彼は特別な存在なのだな。開演の興奮と相まって、嬉しさとも寂しさともつかない、複雑な感慨が湧き上がってきた。

J・ディラまたはジェイ・ディー、本名ジェームズ・ヤンシーは、1974年デトロイト生まれのDJ/ラッパーだった。とりわけビート・メイカー/プロデューサーとして、1990年代にザ・ファーサイドのヒット“Runnin’”やア・トライブ・コールド・クエストのアルバム・プロデュースで頭角を現し、世紀の境目と前後してヒップ・ホップ/ネオ・ソウルの数多くの名盤で重要な役割を担うことになる。その鋭い音色と深いグルーヴを兼ね備えたプロダクションは、「J Dilla changed my life」といった合言葉まで生み出し、現在もSNS上に散見されるほどだ。

ATCQ『ザ・ラヴ・ムーヴメント』(1998)、コモン『ライク・ウォーター・フォー・チョコレート』(2000)、ディラの所属グループだったスラム・ヴィレッジ『Fantastic vol.2』(2000)、エリカ・バドゥ『ママズ・ガン』(2000)、初のソロ作『Welcome 2 Detroit』(2001)、そして目立った参加クレジットは見られないものの、幾つかトラックの叩き台を製作したとも言われるディアンジェロ『ヴードゥー』(2000)。これらのアルバム群に夢中になっていた頃は、ディラが完全に最先端ポップ・ミュージックの手綱を握っている、と思えて仕方がなかったものだ。

彼は、2006年2月、32歳の誕生日にアルバム『Donuts』をリリースし、3日後に血液の病で他界した。残された膨大なトラックはその後いくつもの音源作品としてリリースされてきたが、今回リリースされたアルバム『ザ・ダイアリー』は、そもそもソロのメジャー・デビュー・アルバムとして、『Welcome 2 Detroit』後に準備が進められていたものだ。当時の彼はプロデューサーとしてだけでなくラッパーとして意欲を燃やしており、敢えて外部プロデューサー陣を招いたラップ・アルバムを製作していた。しかしこれが、レーベル合併などのゴタゴタもあって長らくお蔵入りしていたのだ。

断っておくと、ディラは決して優れたラッパーではなかった。しかし、本作の収録曲でもある怒りのシングル“Fuck the Police”(トラックもディラ自身が手がけている)に触れれば、彼にも言葉で伝えずにはいられないことがあったのだ、と思わずにはいられない。

https://soundcloud.com/massappealrecs/j-dilla-gangsta-boogie-feat-snoop-dogg-kokane-1

https://soundcloud.com/massappealrecs/j-dilla-the-sickness-feat-nas-produced-by-madlib

ゲスト・ヴォーカルにはスヌープ・ドッグやビラル、NASといった大物も迎えられ、プロデューサーにはピート・ロックやマッドリブら盟友たちも参加している。個人的には、カリーム・リギンス(カニエの最新作でも活躍していた)がプロデュースしロックな展開を見せる“Drive Me Wild”が好きで、ディラは同郷・同世代のカリームにもラップするようアドヴァイスしたという。カリームが初のソロ・アルバム(ビート作だったが素晴らしかった)を発表するのは2012年を待つことになるけれど、ディラはこうして今日のシーンにも、さまざまな形で影響をもたらし続けているのだ。(小池宏和)
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