今週の一枚 U2 『ヨシュア・トゥリー』30周年記念盤

今週の一枚 U2 『ヨシュア・トゥリー』30周年記念盤 - 『ヨシュア・トゥリー』30周年記念盤 スーパー・デラックス『ヨシュア・トゥリー』30周年記念盤 スーパー・デラックス

U2
『ヨシュア・トゥリー』
6月2日発売

U2の代表作にして最高傑作といってもいい1987年の『ヨシュア・トゥリー』のリリース30周年記念盤だが、リリース当時のライブ音源、あるいはバージョンによってはレア音源やリミックス音源なども収録した内容になっている。

このアルバムのなにがすごいのかというと、それまで新感覚派的なバンドであったU2をロックンロールの歴史の中に組み込むことになった作品になったということだ。ある意味で、バンドとしてはこの作品を世に問うことで引き受けていくものはとても重かったはずだが、それをあえてやってのけたのがこの作品の重要性なのだ。

U2が1981年に『ボーイ』でアルバム・デビューを果たした時、そのバンド・サウンドは徹底してポスト・パンク/ニュー・ウェーヴなもので、その突き刺さるようなギター・サウンドとたたみかけていくリズム・セクションのアタック感はパンク以降の流れを汲んだもの以外のなにものでもなく、あらゆる意味でパンク以前のロック・サウンドのアンチとして生み出されたものだった。

また、ウルトラヴォックスやスージー・アンド・ザ・バンシーズ、XTCらの作品を手がけていたスティーヴ・リリーホワイトをプロデューサーに迎えていたことで、さらに鮮烈なサウンドをサード・アルバムの『WAR(闘)』まで推し進めることになったが、この時点までのU2の音が目指していたものは既存のロック・サウンドにはなかったものを提示していくことで、それはある意味ではロックンロールの歴史の否定でもあったのだ。

“ Sunday Bloody Sunday”

そのスティーヴ・リリーホワイトから離れて、ブライアン・イーノと組んでみせたのが1984年の『焔』となったが、このアルバムはそれまでU2が鳴らしてきたサウンドをトータルなアルバム・サウンドというコンセプトとして打ち出していく画期的な試みとなった。特にイーノはそのコンセプト面で寄与していくことになったが、バンドにとって大きな飛躍のきっかけとなったのは共同プロデューサーとして参加したダニエル・ラノワからの楽曲や演奏への取り組みについての助言だったはずだ。

なぜかといえば、ラノワはアメリカのルーツ・ミュージックに通じていてそれはまさにU2が否定してきた歴史そのものであったからだ。しかも、アメリカのルーツ・ミュージックとロックンロールの歴史は、『WAR(闘)』がブレイクしてアメリカを精力的にツアーするようになったU2が日常的に対峙するようになっていたものでもあった。

さらにツアーでアメリカを知っていくにつれて、アメリカの社会が訴えかける差別やそれを乗り越える愛といった問題はまさに、アイルランドの政治社会の問題をテーマにしてきた自分たちの初期の作品群にも通底していたテーマと共通するものでもあったこと、そして、アメリカのルーツ・ミュージックやR&Bやブルース、ゴスペル、ソウル、そしてロックンロールはまさにそのテーマを訴えていくための表現だったということを再発見していくに至ったのだ。

もちろん、『焔』の時点でもU2はそうしたインスピレーションを“プライド”のような曲に形にしてみせていたが、イーノとラノワと再び取り組んだ『ヨシュア・トゥリー』では『焔』で獲得したトータル・バンド・サウンドをさらにどれだけ高めていくか、そして、アメリカのルーツ・ミュージックやロックンロールを前提にした作曲アプローチをどれだけ自分たちのものとしても取り込んでいけるのかというのがアルバムの課題となった。つまり、自分たちが既存のロックを否定するポスト・パンクとして磨き上げてきたロック・サウンドに、ロックンロールの歴史そのものをどのように導入するかというのがこのアルバムのテーマだったのだ。

このアルバムのサウンドとドライブ、楽曲のテーマの重さと象徴性と普遍性というのは、そうやって生み出されたものなのだ。ある意味でこれは究極のU2の最高傑作だったし、特に象徴的だったのはこのアルバムを契機にU2がアメリカのロック・ファンをも完全に飲みこんだ存在へと成長したのに対して、ほかの同時代の多くのイギリスのバンドは、ニュー・オーダーやザ・キュアーなどを除けば、それこそ「歴史」となってしまっていったことだった。

バンドはこのアルバムをツアーに引っ提げてまたアメリカに臨み、それはドキュメンタリー作品『魂の叫び』へと結実していったが、これこそバンドにとって究極のアメリカ探訪になったといえるし、U2にとってのアメリカとの対峙の総仕上げともなる作品となった。今回の再発で新たな要素となったライヴ音源はまさにこの時のツアーの全容で、正直言って、『ヨシュア・トゥリー』の素晴らしさを伝えるという意味では、『魂の叫び』よりもふさわしい音源になっていると思うし、前半の怒濤の展開はこのアルバムに賭けた意気込みをよく物語るパフォーマンスとなっている。

しかし、U2がさらにすごかったのは、この『ヨシュア・トゥリー』のある意味では完成され尽くしたサウンドを拭い捨てて、すぐに次の音へと向かったことだった。それが『アクトン・ベイビー』となり、それ以後の活動が現在へと繋がっているわけだが、それでも『ヨシュア・トゥリー』のサウンドはイギリスのギター・ロックのひとつの規範となったし、それはトラヴィスやコールドプレイなどのサウンドにも顕著に踏襲されていくものになった。今のギター・バンドでこのアルバムの影響から免れているイギリスのバンドなどまずいないといってもいい。(高見展)
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