今週の一枚 トゥー・ドア・シネマ・クラブ『ゲームショー』

今週の一枚 トゥー・ドア・シネマ・クラブ『ゲームショー』

トゥー・ドア・シネマ・クラブ
『ゲームショー』
10月14日(金)発売

トゥー・ドア・シネマ・クラブにとって4年ぶりのニュー・アルバムとなる『ゲームショー』は、彼らのポップを再定義するアルバムであり、同時に彼らのアートを進化させたアルバムでもある。UK/アイルランドの若手ギター・バンドとしては4年のブランクはかなり長いと言えるが、前作『ビーコン』(2012)での予想を超えたポップ・フィールドでの成功と、その反動としてのデビュー・アルバム『ツーリスト・ヒストリー』(2010)にあった無自覚インディ・スノッブな感性の減退という両極の事態に彼ら自身が折り合いをつけ、修正と再考を重ね、本来進むべき道をはっきり見定めるまでには、どうしたって必要な4年間だったのだろう。

この『ゲームショー』は結果的にトゥー・ドア・シネマ・クラブにとって原点回帰的なアルバムに仕上がっている。ちなみにここで言う彼らの原点とは、簡潔かつエッジーなポスト・パンクのギターと軽妙ポップなエレクトロの融合という、『ツーリスト・ヒストリー』にあったサウンドの在り方を指すのではなく、もっと根源的なバンドの理念、彼らのアート至上主義とでも呼ぶべき理念が存在する場所のことだ。

サマーソニック2016でも披露され、セクシュアルなファルセット・ボーカルとファンキーなビートに驚いた人も多いと思う“Bad Decision”や、ボウイの“China Girl”を彷彿させるエスニック調ニュー・ウェイヴな“Good Morning”などを筆頭に、本作に色濃く感じられるのは80年代のデヴィッド・ボウイやプリンスからの大きな影響だ。一方でタイトル・トラックの“Gameshow”は彼らの基本形であるポスト・パンク・サウンドをヘヴィ・ウェイトに鍛え上げた最新バージョンとして鳴り、また、アルバム中で『ビーコン』の流れを唯一順当に継承していると言える“Are We Ready? (Wreck)”は、コマーシャルとショウビズの強迫観念が描かれたそのミュージック・ビデオに、かつての彼ら自身への皮肉が込められている。『ゲームショー』全編を通して言えることは、スムーズで間口の広いポップ・アルバムだった『ビーコン』に対し、本作は「クセ」の強いアート・ロック・アルバムであり、それこそが彼らのやりたかったことだという確信だ。

たとえば一見してトゥー・ドアと同じようなインディ→ポップの道を辿ってきたThe 1975も、サウンドにプリンスやボウイのエッセンスを多く含んでいる。しかしThe 1975にとってそれはキラーなフレーズの作成法やファンク・ギターのリフの借用であったりと、機能的な部分でのポップの強化として割り切ってやっている感がある。デビュー当時から極めて意識的にポップ・バンドとしての成功のプランを練っていた彼ららしいマナーだ。対してトゥー・ドアにとってのプリンスやボウイが特別である理由は、やはり第一に彼らが至高のアートの担い手であるからだろう。

それはトゥー・ドアの良くも悪くも頭でっかちでオールドファッションなインディ精神に基づく思想だと言えばそうには違いないのだが、彼らが思想を確固たるものとし、「できること」と「やりたいこと」、そして「やるべきこと」のゴールデン・バランスが初めて意識的に生じた本作には、未だかつてない力強さと自信が漲っている。ちなみにそこらへんのトゥー・ドアの意識面での覚醒についてはロッキング・オンの最新号でのインタビューにも詳しく載っているので、興味がある方はぜひ一読をおすすめしたい。

インディ・ギター・バンド、オルタナ・ロック・バンドが、自分たちの過疎化した小さな村を離れ、熾烈なポップ・ミュージックの競争に参入していく流れがここ数年続いている。それは時として彼らにアイデンティティの放棄を迫る本末転倒なものになってしまっていたわけだが、トゥー・ドアの本作を聴くと、再びインディ・バンドたちのアイデンティティが回復されていく、ちょっとした流れの変化を感じ取ることができる。インディ・ギターのストイシズムを誇り、自分たちのアートをとことん極める、その先に新たに生まれるポップだってあるはずなのだ。(粉川しの)
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