今週の一枚 ボン・イヴェール『22、ア・ミリオン』

今週の一枚 ボン・イヴェール『22、ア・ミリオン』

ボン・イヴェール
『22、ア・ミリオン』
9月30日(金)発売

ボン・イヴェールが5年ぶりの新作『22、ア・ミリオン』をリリースする。ジャスティン・ヴァーノンが再びボン・イヴェールとして帰ってきた、その覚悟と新たな決意を強く感じる傑作である。

ジャスティン・ヴァーノンはこの5年の間、幾つものサイド・プロジェクトを精力的に取り組んできた。自身の別バンド、ボルケーノ・クワイア、シャウティング・マッチーズの新作に加えて、ジェイムス・ブレイクの最新作『ザ・カラー・イン・エニシング』、カニエ・ウェストの『イーザス』を筆頭に様々なアーティストとのコラボレーションも行ってきた。つまり、彼自身の表現欲求はまったく変わらずそこにあったということだ。にも拘らず、彼はボン・イヴェールとしての表現「だけ」はやらなかった。もしくはやることができなかった。前作『ボン・イヴェール』から本作のリリースに至までに5年もの歳月を要したのは、明らかにジャスティンがボン・イヴェールでの活動に対して疲弊し、プレッシャーを感じていたからだ。

完璧なインディ・フォーク・アルバムだったデビュー作『フォー・エマ・フィーエヴァー・アゴー』に対し、前作『ボン・イヴェール』は一気にそのサウンド・レンジを拡大した作品だった。シンセのシークエンスを多用したエレクトロの導入や繊細かつ多重なレイヤーで編み込まれた音響、シンフォニックな奥行きを持つモダンな構成。しかも画期的だったのはその拡大、重層路線にも拘らず、最終的にそれは彼個人のパーソナルな魂=フォークの純潔へと立ち戻っていく透徹した意志が宿っていた点だ。『ボン・イヴェール』で広がった音世界とは、つまりジャスティンの内で完結した小宇宙の広がりだったのだと思う。しかしそんな前作は全米2位を記録してロングセラーを続け、批評的にも大絶賛の嵐、最終的に『ボン・イヴェール』で彼はグラミー新人賞を受賞した。そんな前作の成功はジャスティンにとってスポットライトの只中へ、内なる宇宙から外の世界に意に反して「引きずり出された」ような感覚があったことは想像に難くない。

『22、ア・ミリオン』のプレス・リリースによると本作のタイトルの「22」とはジャスティン自身を、「ア・ミリオン」は世界中の人々を示したものだという。つまりジャスティンと世界、ジャスティンと他者の対峙を表現したのがこのタイトルであり、本作の内容もまさにそういうものになっている。彼が5年ぶりにボン・イヴェールとして戻ってきたのは、自身の牙城を再び閉じて守るためではない。結果として意志に反して世界に引きずり出された前作とは対照的に、本作ではジャスティン・ヴァーノン自らが扉を大きく開け放ち、世界へと歩み出していった作品だと言える。

前作の複雑な重層性の先には必ず答えが待っていた。しかし本作ではむしろ音の混沌が最後まで続き、混沌のまま終わるナンバーも増えている。なぜならそれこそが他者がいる世界の現実だからだ。「もうすぐ終わる」と歌われる“22 (OVER S∞∞N)”で幕を開ける本作だが、終わりに向けて収束していくどころか本作は次々と様々な方向に向けて展開していく。前作以上にオートチューンで割れる寸前まで歪まされ、実際に割れるヴォーカル。そんなヴォーカルと共にヘヴィ・ノイズの荒涼にこそソウルの血肉を見出す“10 d E A T h b R E a s T ⚄ ⚄”は、彼が最初にカニエとコラボしたアルバム『マイ・ビューティフル・ダーク・ツイステッド・ファンタジー』を彷彿させるものがある。『ボン・イヴェール』の奥行きはまるで聖堂に響くチャントのように高みを感じさせるそれだったが、本作の奥行きは薄暗い地下洞窟を彷彿させる闇の深さも生んでいるのが面白い。

また、本作のヘヴィ・ベースにはジェイムス・ブレイクとの出会いの痕跡が感じられるし、全編にわたってフィーチャーされた緩急自在のサックスも、これまでにないモダンで都会的なムードを本作に与えている。サンプリングの多用によってボン・イヴェールならではのナラティブが分断されていく“33 “GOD”はレディオヘッドにも近いマナーだ。その一方ではカントリー・フォークの素描的アコギがどこまでも繊細に美しく響く“29 #Strafford APTS”のようなナンバーがある。最後まで曲調に一筋の流れをキープしていた前作とは対照的に、めまぐるしく曲調が変化していくのが『22、ア・ミリオン』の特徴だ。

『22、ア・ミリオン』でにおけるカオティックな解放路線はサウンドだけにとどまるものではない。陰陽を想起させるシンボルを中心として、古代遺跡で発見された古の文字のようにも、はたまた未来人からのメッセージのようにも見える理解し難い記号が羅列されているアルバムのアートワークといい、数字と単語や記号が組み合わされた曲名といい、シンプルなようでいて理解しがたい事象がジャスティンを取り巻いているのが本作だ。前作の人里離れた辺境にひっそり佇む山小屋の風景が描かれていたアートワーク、彼の馴染み深い地名が散りばめられていた曲名と比較しても、今回の彼がいかに未踏の世界、領域で音を鳴らそうとしたかが伺い知れるはずだ。

何者にも左右されない孤高の美しさから、理解しがたい外界に踏み出し、他者に影響され、いくつもの矛盾や衝突を経て辿り着いた混沌の美へ。そんな『22、ア・ミリオン』が聴く者の胸を打つ感動的な作品になっているのは、ジャスティン・ヴァーノンの表現する世界が、ついに私たちの生きる今・ここと地続きになったからかもしれない。(粉川しの)
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