今週の一枚 ボブ・ディラン『フォールン・エンジェルズ』

今週の一枚 ボブ・ディラン『フォールン・エンジェルズ』

ボブ・ディラン
『フォールン・エンジェルズ』
2016年5月25日(水)発売

ほぼ1年ぶりのリリースとなるボブ・ディランの新作『フォールン・エンジェルズ』は前作に引き続いて、フランク・シナトラがレパートリーとしていたスタンダード曲を取り上げた内容となっている。では、これがフランク・シナトラに捧げたオマージュやトリビュート作品になっているのかというと前作同様、まったくそういうことではない。むしろ、これはフランク・シナトラが聴かれた時代のサウンドをボブなりに捉え直すという試みであって、ボブがモチーフとしているのはこのアルバムに収録されたフランク・シナトラの楽曲のレコーディングの数々が当時自分にどう聴こえ、それが実感として自分の中にどう残っているのかということを確かめることなのだ。

なぜ、そんなことをやるのかというと、ボブは基本的に90年代末以降、自身のロックンロールやブルースとの出会いの原体験をサウンドとして捉え直す試みを続けてきているからだ。その端緒となったのがサン・レコードのサウンドや空気感を恐ろしいくらいに再現して、そこに自身の現在の心象を綴ってみせた1997年の『タイム・アウト・オブ・マインド』となったわけだが、その後01年の『ラヴ・アンド・セフト』を経て、06年の『モダン・タイムズ』からさらに新たな試みが聴かれるようになって、"Spirit On The Water"や"Beyond the Horizon"などの収録曲で、50年代以前のジャズやポピュラー・スタンダードのサウンドを打ち出してきた。

では、なぜこういう試みをするのかというと、それはこうしたサウンドとの出会いがボブ自身にとって衝撃的な事件だったからだ。少年時代にサン・レコードのエルヴィス・プレスリーやカール・パーキンスらのレコードと出会ったことは強烈な原体験となり、その後、ブルースやフォークを発見していく手がかかりともなったはずだ。こうしたブラック・ミュージックの源流を汲んだ音楽との出会いは均質的な地方都市に育った少年時代のボブにとって深い他者体験となり、その後の創作のインスピレーションとなったといってもいいはずだ。事実、60年代初頭にフォークの旗手としてデビューしたボブはその後は数年おきに必ずといっていいほどドラスティックな表現アプローチの変更を試みていったが、それは常に少年時代に経験した他者体験からのインスピレーションを刷新していくためのものだったのだ。新しいことを試みていかない限り、「他者」との出会いはありえないからだ。

そして、97年の『タイム・アウト・オブ・マインド』以降、ボブはそのインスピレーションをサウンドの再現に求めていくようになった。それはレコーディング技術のテクノロジーが行く着くところまで行き着いたという実感から時代に背を向けるものでもあったのだろうが、それ以上に、ラジオでサン・レコードのサウンドに初めて触れた時の衝撃を記憶している人間がこの世からほとんどいなくなり始めているという事実もたぶんに関係しているはずだ。ボブは自分の原体験をレコーディングとして伝え残そうとしているのであって、『モダン・タイムズ』から始まったスタンダード曲のサウンドの再現もまたそういう試みのひとつなのだ。

では、なぜスタンダードなのか。それはロックンロールやブルースがラジオで聴かれるようになる前、いわゆるスタンダードこそがそれに匹敵するものになっていたからだ。たとえば、今回の連作でボブはフランク・シナトラをひとつの目安として楽曲を選んでいるが、今でこそ"My Way"などの超メインストリーム歌手として知られるフランク・シナトラはかつて40年代から50年代にかけてエルヴィス・プレスリーに匹敵するヒステリックな現象を引き起こしたパフォーマーなのだ。エルヴィス以前に、女子が会場に詰めかけてそのパフォーマンスを目にして悲鳴を上げては失神するというポップ・カルチャー的現象を起こしたのはフランク・シナトラが史上初めてのことだったのだ。それはもちろん、フランク・シナトラというパーソナリティによるところが大きかったのだろうが、それはまた、フランク・シナトラが歌っていた楽曲のジャンルによるところも大きかったはずだ。というのは、ジャズ・スタンダードというのは、当時のメインストリーム・ポピュラーの中では唯一ブラック・ミュージックの流れを汲んだ音楽で、唱法、バンド演奏、サウンドとともに当時は相当な衝撃と快感をリスナーにもたらしていたはずだからだ。ロックンロール以前の前史ともなる、その衝撃を今に伝えようとするのがこのボブの試みなのだ。

ボブは前作『シャドウズ・イン・ザ・ナイト』も本作も、すべてロサンゼルスにあるキャピトル・スタジオでレコーディングを行っていて、それはフランク・シナトラがこのスタジオを当時の全盛期に使っていたからだ。このことからもボブの試みが自分の原体験をぼくたちに伝えようとしているものだということが明らかだし、かつてジャズのビッグ・バンドによって作られたこうしたサウンドをボブが自身の5人のバンドで再現しているところがとても感銘を受ける。かつてのレコーディングの管楽器やそのソロ、あるいはストリングスなどをペダル・スティール・ギターで表現し、バンド演奏によって生み出した音の厚みと音の隙間は見事としかいいようがないが、それは音の再現ではなく、あくまでも体験の再現なのだ。ボブはこれを通してなにをぼくたちに伝えようとしているのか。自分なりの他者体験を求めろということなのか。いずれにしても、こういう時代の証人と同時代を生きていることの幸福を思い知らされる作品だ。(高見展)
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