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    今週の一枚 スカイ・フェレイラ

    今週の一枚 スカイ・フェレイラ

    スカイ・フェレイラ
    『ナイト・タイム、マイ・タイム』


    去年の10月にリリースされた本作だが、ジャケットの写真がトリミングされ、
    収録曲の”OMANKO”を外して、ようやく日本盤が発売される。
    なにはともあれよかった。
    14歳でMySpaceに歌をアップし17歳でパーロフォンと契約してから21歳の今までの長い道のりと、
    その間に起きた波瀾万丈と、
    そして何より彼女の唯一無比の存在感と世界観と物語/鋭いポップ・センスが結晶化したこの作品が
    日本のリスナーに向けて正式にリリースされずに終わるなんてことは決してあってはならないことだ。



    「スカイ・フェレイラのどこがいいの?どこが凄いの?」という質問に対して
    「いやとにかく今、一番かっこいい子だから」としか答えられないし、それだけで十分言い尽くされている、
    というところがスカイ・フェレイラの凄いところだ。
    「今、一番かっこいい」という言葉で言い切れるということはつまり、
    今という時代を最も鋭く鮮やかに体現している、ということだ。


    マイケル・ジャクソンの専属ヘア・スタイリストの娘として生まれ、早くから歌に目覚め、レーベルとの契約もプロデューサーとの制作に入るのも早く、また、モデルとしても早くから注目されるなど、
    彼女自身は決して今の時代の普通の女の子の人生/生活を体現してきたわけではない。
    だが、不思議なことに、そうした特殊で早熟な生い立ちを背景にして彼女がそこから感じ取ってきたものや、抱えた思い、決断の一つ一つ―――は今の時代を生きている僕らの共感を呼ぶ。
    彼女の歌から感じ取れる孤独感や虚無感、社会からの逸脱や全能感―――は、僕らが今の時代に生きていて日々感じているものとぴったりと重なる。

    なぜそんなことが起きるのだろうか?



    これまでのポップ・スターは、メデイア上のスターとしての自分と、
    生身の人間としての自分が引き裂かれていた。
    あるいはうまくその2つをコントロールしてきた。
    だがスカイ・フェレイラは、アーティスト/モデルとしてメディア上に存在している自分と、一人の女の子として傷つきながら生きている自分が、混じり合っている。
    というか、区別しようとしていない。
    メディア上を生きるように日常を生き、日常を生きるようにしてメディア上を生きている。


    誰もがなんらかのパーソナル・メディアを持ち、ソーシャル・ネットワーク上に存在している僕達の感覚は、実は彼女のこの感覚と近いのだ。
    誰もがメディア上で傷ついたり悲しんだり喜んだりしながら、その傷や悲しみや喜びを抱えて日常を生きている。
    そして、日常で得た喜びや悲しみを、そのままメディア上の自分として発信する。
    ヴァーチャルとリアルの区別のない生。
    そこに生まれる孤独と虚無と全能感。

    スカイ・フェレイラのポップはそれを100%表現し切っている。
    山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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