今週の一枚 アークティック・モンキーズ 『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』

今週の一枚 アークティック・モンキーズ 『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』

アークティック・モンキーズ
『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』
5月11日発売


アークティック・モンキーズにとって最もスムーズに作ることができて、当たり前のように高クオリティの仕上がりとなり、もちろんファンにも大絶賛と共に受け入れられる、そんな夢のようなニュー・アルバムの条件があるとしたら、『AM』の「続編」的なアルバムを作ることこそがその最適解であったのは間違いない。実際、アレックス・ターナー自身も『ロッキング・オン』での最新インタビューの中で「(『AM』の)パート2を作ることを一度は考えた」と語っている。しかし、彼らは成功が約束されたその最短ルートを選ばなかった。代わりに5年もの歳月をかけて、『AM』のほぼ真逆と言ってもいいアルバムを作り上げた。

完全無敵のロックンロール・アルバムだった『AM』の真逆のニュー・アルバムとはつまり、ギター・リフ主体のグルーヴ感覚や、モダン・ロックの文脈をほぼすべて無効にしたアルバムだということだ。とは言え、彼らはギター・ロックを捨ててヒップホップやエレクトロ、R&Bを器用に取り入れた、いわゆる今様のポップ・アルバムを志向したということでもない。いや、ここにはヒップホップもエレクトロもR&Bも存在するのだけれど、それらは2010年代後半のありがちなポップの構成要素として消費されているわけではないのだ。

では、ギター・ロックのカタルシスからも、ポップ・ロックの適時性からも逃れ、彼らは一体どこに向かおうとしたのか——陳腐な言い方になってしまうが、それは恐らくどこでもない場所だ。アークティック・モンキーズのようなずば抜けた才能を持つバンドが、未だ眠る自分たちの才能の在処を、その未知なる場所へとリスナーと共に踏み出していったアルバム。それを彼らは『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』と名付けた。

リヴァーヴの中で凛とした美しさを湛えたピアノとソウルフルなファルセット・ボーカルが絡み合う“Star Treatment”で幕を開ける、『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』。このアルバムにおける彼らのサウンド変化の最大の要因は、楽曲のほぼすべてがピアノを用いて書かれたということだ。しかもそれはLAのアレックスの自宅の一室に組まれたホーム・スタジオで、彼がひとり没頭して作り込んだもので、つまり本作の制作前半段階はアレックスのほぼソロ・ワークとして進められたということになる。

ピアノ、ヴォックス・コンチネンタル・オルガン、シンセサイザーを使い分け、ひたすら鍵盤上で楽曲が編み出されていった結果、ギターによる作曲と比較すると遥かに複雑で広大な音領域が本作の前提となった。それが「月面のホテルを舞台にしたシュールなSF」という全体のコンセプトと合致し、スペイシーなサイケデリックや、ストリングスやジャズ・ピアノを配したフィルムノワール調のポップス、ゴスペルコーラスが霞の彼方でたゆたうR&B……と、まるで長編映画の場面が切り替わっていくように、本作は次々に表情を変えていく。

ちなみにそれらはオープン・リールの8トラック・レコーダーを用い、アレックス曰く「埃っぽい」音質で録音されたことで、どこかノスタルジックな風合いを醸し出している。その音の深みに対するマニアックな追求ぶりは、アレックスのソロ・ワークであるサントラ『サブマリン』や、ザ・ラスト・シャドウ・パペッツの一連のサウンドに近いものもある。

しかし、本作の音の深みの根拠はアレックスが孤独な作業の中でこだわりを炸裂させて獲得した、そのとことんノスタルジックでビンテージなサウンドだけに由来するものではない。むしろ内的で閉じたアレックス個人の前半戦の成果が、メンバーが全員集結した後半戦の最新機材をふんだんに用いたハイファイなレコーディングによって、極めてモダンなプロダクションを獲得することになった、そのギャップの産物なのだ。

アナログとハイファイ、レトロとモダンのコントラストが、「未来のノスタルジー」とでも呼ぶべき『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』の矛盾したサウンド感覚、まさに「(時間に縛られない)どこでもない場所」のリアリティを生み出しているとも言えるだろう。レコーディングにはプロデューサーのジェイムズ・フォードに加え、ミニ・マンションズのメンバーやテーム・インパラのキャム・エイブリー、元クラクソンズのジェイムズ・ライトンらが参加。デモ音源を民主的なオープン・スペースでひとつひとつ検証し、肉付けしていくことで、本作はアレックスの脳内で極限まで煮詰められていた孤高のアイディアを、アークティック・モンキーズのニュー・アルバムとして解放していったのだ。

前述のように『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』のサウンドはいくつもの選択肢を保ちながら常に流動しており、それは歌詞の面においても同様だ。それらは彼らがかつて唯一の正解として振り下していたギター・ストロークや、一人称で固定された視点から発していた言葉とは全く異なる成り立ちであるのは言うまでもない。“Tranquility Base Hotel & Casino”や“Science Fiction”でシアトリカルに歌い上げるアレックスは、隠遁の詩人、ホテルを走り回るボーイ、バーの片隅でおこる珍事の目撃者と、まるでデヴィッド・ボウイのようにいくつもの顔を演じ分けている。

また、本作で彼らが最も煮詰まり、最も苦労して完成に漕ぎ着けたという“Four Out Of Five”では、まるでホテルの幾つかの部屋で別々に起こっている事件を同時中継するかのように、『AM』仕込みのヘヴィ・リフとTLSP風のバロック、イタリア映画のエンディングを思わせる情緒過多のメロウポップが並走する、驚異的な構造を持つ曲に仕上がっている。

『トランクイリティ・ベース・ホテル・アンド・カジノ』を全曲聴き終えて驚くのが、過去の記憶を呼び覚ましながら見たことのない未来へと進んでいく、この豊穣にして濃密な音楽体験が、実際はたった40分の出来事でしかなかったということだ。なんて贅沢な体験なのだろう!そんな本作の体感は恐らく聴くたびに変わっていくだろうし、常に新しいイマジネーションの喚起の場となっていくはずだ。(粉川しの)
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