今週の一枚 ミューズ『シミュレーション・セオリー』
2018.11.09 18:17
ミューズ
『シミュレーション・セオリー』
11月9日(金)発売
“ディグ・ダウン”や“ソート・コンテイジョン”、“サムシング・ヒューマン”、“ザ・ダーク・サイド”……と楽曲のカードが1枚また1枚と明かされるたびに、来るべきアルバムは「ミューズ自身によるミューズ・サウンドの因数分解と量子化」の作品に違いない、というフラグは十分すぎるくらいに立っていたし、そのたびに自分もポップの福音だ聖歌だと熱に浮かされたように書き連ねてきた。が、『ドローンズ』以来約3年半ぶり8枚目となる今作『シミュレーション・セオリー』は、冒頭の“アルゴリズム”が鳴った瞬間、こちらの予想を遥かに超越したレベルの冷徹さでもって「ロック・バンドらしさ」が断捨離されたサウンドスケープが繰り広げられ、抑え難い驚愕と戦慄の渦に囚われる。『アブソルーション』の次作として『ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイションズ』のロック対象化モードに触れた時の驚きに近いが、今作が呼び起こしてくるのはもっと根源的な、「神秘の正体」を解き明かした者だけが体現し得るような畏怖そのものだ。しかしそれでも――いやだからこそ、それによって今作の楽曲群は、ミューズの楽曲に拭い難く内在する麗しきメランコリアを過去最大級のコントラストをもって浮き上がらせ、2018年という今この時代に厳然と立ち昇らせてくる。最高の1枚だ。
“スーパーマッシヴ・ブラック・ホール”や“マップ・オブ・ザ・プロブレマティック”といった『ブラック・ホールズ〜』の楽曲群の「ハイブリッド感漂う」領域を遥かに踏み越えた、前述の“アルゴリズム”の「ほぼ人工物」なドラムの音色とアレンジ。“ディグ・ダウン”あたりにも顕著な、ロック・バンドならではの「鳴り」や「揺れ」といった生っぽさを極力排することで3人の楽器音をシーケンスとともに極限まで記号化したアンサンブル。ダークなR&B風トラックの中でマイケル・ジャクソンが憑依したようなマシューの歌い回しが不穏に響く“プロパガンダ”。アンニュイなヒップホップとでも言うべき歌い回しとリズムの上でギターのコード感が妖しく溶解していく“ブレイク・イット・トゥ・ミー”……ミューズがこれまで培ってきた、「ロックのダイナミズムの極限炸裂としてのスタジアム感」の延長線上ではなく、むしろイマジン・ドラゴンズらにも通じる「『究極のスタジアム・ポップ』としてロックを再定義」というスタンスからミューズ自身の楽曲世界を俯瞰する――とでも形容すべき視線が、今作の11曲には一貫して感じられる。
ルーパーを駆使しアコギを奏でるシンガー・ソングライターを思わせる“サムシング・ヒューマン”の音像も、そこから一転してBPM70の巨大なビートとコーラス・ワークを展開する“ソート・コンテイジョン”も、紛れもなくミューズそのものの楽曲でありながら、これまでの作品の系譜とは明確に一線を画した手触りに満ちている。アルバム後半の重要なポジションに配置された“ゲット・アップ・アンド・ファイト”“ブロケイズ”の2曲――前作『ドローンズ』からの流れを感じさせるアグレッシブなエピック・ロック感は、今作の中ではかえって異質に思えるほどだ。そして何より今作は、圧倒的なボーカリゼーション/音作りもプレイ・スタイルもすべてが独創的なギター・ワーク/獰猛さも精緻さも兼ね備えたリズム・セクション――およそ世のロック・バンドが追い求め続ける魅力のすべてが超合金合体したようなクリエイティビティを内包し、世界屈指のライブ・バンドでもある奇跡の3ピース=ミューズが、「バンド・サウンドのリアル」を漂白し、アレンジの情報量を極限まで削減することで、自身の最大の武器である楽曲とメロディに、ロック・ファンもポップ・シーンも震撼必至の輝度と強度を与えてみせた、その決定的瞬間の記録だ。
今や巨大ステージを自らのライブの主戦場としているミューズにとっては、アリーナやスタジアムでバンド・アンサンブルを(オーディエンス誰もが満足の行く形で)構築することの難しさは、常日頃から直面せざるを得ない壁の如き命題でもあるだろう。のたうち回るディストーションよりもギターの演奏を効率的に響かせることはできないか、野性やグルーヴ以外にドラム&ベースのコンビネーションをブラッシュ・アップする方法はないか……といった「バンドマン」としての自問自答に対して、「『ドローンズ』までの方法論を一度解体する」というファイナル・アンサーを「アーティスト」「クリエイター」として導き出した3人のトライアル、いや冒険に対して心からの拍手喝采を送りたいと思う。そして、今作の楽曲すべてを今すぐにでもスタジアムで体験してみたい。ミューズとロックの新次元が、そこには確かに広がっているはずだ。(高橋智樹)