The 1975
『ネット上の人間関係についての簡単な調査』
11月30日(金)発売
The 1975、圧倒的とも言える飛躍の一作である。このアルバムでThe 1975は、ロックのみならずあらゆるポップ・ミュージックの最前線に立ったと言っていいだろう。
2年9ヶ月ぶり3作目。来年の5月に発表される予定の『Notes on a Conditional Form』なるアルバムと2部作になるとアナウンスされている。“ギヴ・ユアセルフ・ア・トライ”、“ラヴ・イット・イフ・ウィ・メイド・イット”、“トゥータイムトゥータイムトゥータイム”、“シンセリティ・イズ・スケアリー”、“イッツ・ノット・リヴィング(イフ・イッツ・ノット・ウィズ・ユー)”と5曲ものタイプの異なる楽曲が立て続けに先行シングル・カットされたのは、もちろん、ストリーミング配信全盛のタイム感に合わせたものだろう。それも本作の場合、場当たり的に楽曲を仕上げていったのではなく、かなり早い段階で2部作の後半部『Notes on a Conditional Form』も含めた「“Music For Cars”という時代」をテーマにした全体の構成を緻密に設計し、楽曲を用意していったことは明らかだ。そのうえでアルバムのキー・ポイントとなるような楽曲を慎重に選択し、順次公開していったのだろう。そしてこうしてアルバムとしてまとまって、全15曲58分半というストーリーの中にそれぞれの楽曲が収まっているのを聴くと、すべての伏線が巧みに回収され完璧に整合性あるドラマとして完成しているのがわかる。本作は初めてマシュー・ヒーリーとジョージ・ダニエルによる完全なセルフ・プロデュース体制で作られているが、見事な手腕というしかない。
さらに驚くべきは収められた楽曲の幅広さとバラエティの豊かさ、そしてそれぞれの完成度の高さだ。
髪を赤く染めたマシューが歌うMVが話題となった“ギヴ・ユアセルフ〜”や、ファンと一緒に撮影したというMVが楽しい“トゥータイム〜”も“イッツ・ノット・リヴィング〜”も、彼ららしいキャッチーなポップ・ソング。なかでも秀逸なのが“トゥータイム〜”で、昨今のロック・バンドという形式にまつわるどん詰まりの重苦しさや不自由さをラクラクと突破していく軽やかな疾走感が光る佳曲だ。こういう、緊張感を保ちながらも肩の力の抜けた気負いのなさも彼らの良さだろう。
一方アコースティック・ギターとピアノ中心のアンビエントでシンプルなバックでじっくりと聴かせる“ビー・マイ・ミステイク”はマシューのボーカリストとしての声の良さと表現力を感じるし、ポスト・クラシカルなストリングスと歪んだエレキをバックに歌う“インサイド・ユア・マインド”も同様だ。前作までのオプティミスティックで肉体性の強いビート・ナンバーは姿を消し、代わりに内省的でメランコリックな楽曲が多いのも本作の際だった特徴。アンビエント〜エレクトロニカ〜ポスト・ロックを往還するようなディープでメランコリックないくつかの楽曲で、アルバムの世界観に奥行きと広がりが出た。音像が直線的なものではなく膨らみを伴った立体的な音場として鳴るようになったのである。
アンビエントとポスト・ロックとエレクトロニカ/IDMがゆるやかに結合したような“ハウ・トゥ・ドロー/ペトリコール”の美しさは白眉で、彼らが目指したというレディオヘッドにも通じるアプローチだ。
ホーンをフィーチュアしてジャジーR&Bに挑んだ“シンセリティ〜”や70年代ニュー・ソウルを思わせるオーガニックなR&B“アイ・クドゥント・ビー・モア・イン・ラヴ”は、ゴスペル調のクワイアも含め、今の時代のポップの空気感と完全にシンクロしたような秀逸な楽曲。対照的にスタンダード・ジャズ〜ポップスのレトロスペクティブなムードが深い感情をゆったりと吐き出す“マイン”のエレガントで優雅な味わい深さも素晴らしい。
一方リリックは、深刻なドラッグ中毒に陥ったというマシューが自らを自嘲的に歌う“ギヴ・ユアセルフ〜”や、我々は見せかけの現実を生きているのではないかと問いかける“イッツ・ノット・リヴィング〜”、ジム・ジョーンズ、リル・ピープ、ドナルド・トランプ、カニエ・ウェストといったキーワードをちりばめ、戦火や暴力、セクシズム、ファシズム、狂信、抑圧にまみれ壊れかけている現代社会への強い違和感を示した“ラヴ・イット・イフ〜”など、強い危機感とペシミスティックとも言えるトーンが貫いている。もちろん“トゥータイム〜”のようなポップ・ソングもあるが、その両面を繋ぐグラデーションは、我々の生きる社会そのものの縮図と言えるだろう。
ロック的なクリシェを徹底して回避しながら洗練されたテン年代のモダン・ロックとして見事に機能している。その鋭敏な時代感覚とバランス感覚には脱帽しかない。(小野島大)