現在発売中のロッキング・オン8月号では、クラフトワーク:ラルフ・ヒュッターのインタビューを掲載!
以下、本インタビューの冒頭部分より。
「クラウトロックという名称だけど、どっかのバカどもが考えたんだよ。
まるで、『フィッシュ&チップス・ミュージック』とか『スパゲティ・ミュージック』って言われてるようなもんじゃないか」
ヒュッターと同じクラフトワークの創立メンバー、フローリアンとの昨年の辛い別れは、今もまだ触れるにはいささかセンシティブである。「彼とはずいぶん長いこと会ってなかったんだ」と、ヒュッターは肩をすくめた。「元パートナーであり、友人であり、共作者だったわけで、彼の思いを安易に代弁できないけど、昔からツアーやコンサートが大嫌いだったことは確かだね」。
クラフトワークは、ここ数年来で最も忙しくクリエイティブな時期を迎えている。レディオヘッドとの南米ツアーを皮切りに世界各地でソールドアウトのショウを何本もプレイしており、来月には『ザ・カタログ』――デジタルリマスタリングした代表作8枚が収められた豪華ボックスセット――のリリースが予定されている。ということは、普段はのらりくらりとはぐらかすのが上手なヒュッターではあるが、業界屈指の謎めいた存在であるバンドの一員として過ごしてきたキャリアを振り返ってもらうには、うってつけのタイミングではないだろうか。
最初の実験
Kraftwerk (1970年)
ヒュッターとシュナイダーは、この4曲入りの自由なインストゥルメンタルデビュー作『クラフトワーク』によって、その名前と自前のスタジオであるクリング・クラングの両方の存在を確固たるものとした。
「僕たちはクラフトワークという概念を見つけ、クリング・クラング・スタジオを作り上げ、一緒に仕事をするミュージシャンを見つけ、楽曲の創作技術を発見し、ドイツ語という言語、人間の声、シンセ一ティックボイスを発見した。僕とフローリアンは70年にこのスタジオを始めたんだけど、それ以前はフリーフォームの音楽グループをやっていてね、大学とかパーティーとか、アートギャラリーなんかでプレイしていたんだ。そしてある日ふと思い立ったんだよ。OK、我々には母艦が必要だ、研究室というか、スタジオ本部というか、一緒に創作活動をする場が、ってね。僕らはいわゆるアートシーンのバンドに近くて、ライブの対バンにはいつもカンがいた。ドラマーはしょっちゅう替わっていて、一度クラウス・ディンガーを起用したこともあったけど、彼も固定ではなかったよ」
(以下、本誌記事へ続く)
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