バーナード「新しいアルバムは作っていない。ん……どう言えばいいのか難しいな……新しい音楽を作りたいバンドもいれば、そうではないバンドもいる。僕は作りたい派だよ。ということだけ言っておこうか」
●なるほど。ただ昨日のライブを観ていて、必ずしも新曲を作ることだけがバンドの進化ではないというか、クリエーションではないということが非常によくわかりました。
バーナード「かなり長いこと新しい音楽を作っていないせいで、アーカイブを掘り起こしてこれまであまりやってこなかった曲を発掘することになったわけだけど、そのおかげで今回“ステイト・オブ・ザ・ネイション”をやることになったんだ。あれはここ東京で書いた曲で、実はかなり面白いいきさつがあるんだよ。
当時(1985年)来日公演を終えたあとも滞在して東京でレコーディングしたんだ。すごく良いスタジオだったんだけど、レコード会社の人が『昼間は取材をして夜に曲を書いてレコーディングしよう』と言ったんだ。僕らは『それはいいけど、いつ寝ればいいの?』と応じて、そしたら『確かに寝る時間がないね。じゃあ寝ないでやろう』と(笑)。こっちはもう『それはどういう意味? 5日間だよ?』っていう。そしたら『レコード会社もスタジオのスタッフも全員寝ないから』と言うから、いやもう『はぁ?』と。『昼間は取材、夜はスタジオ、オーストラリアに行ったら寝れるから大丈夫』とか言われて。それで『いやいやいや、そんなの無理』と言って実際僕らは寝たんだ。でもここが重要なポイントなんだけど、レコード会社の人もスタジオの人も本当に5日間寝なかったんだ(笑)。
だから3日経過した頃にはスタジオの人たちは寝不足でボロボロで、通訳の人もまともに訳せなくなっていて、もう完全にカオス状態で、食事も午後3時に用意されたものを午前3時に冷め切った状態で食べるような状態で。本当にめちゃくちゃなセッションだったけど、とにかくそこから“ステイト・オブ・ザ・ネイション”が生まれたわけ。ただまだ何かが足りなくてそのあとロサンゼルスでジョン・ロビーというプロデューサーと完成させたんだけどね。ちなみにジョン・ロビーは初期のニューヨークエレクトロレコードを数多く手掛けた人物だよ。というわけで完成したのはロサンゼルスだけど生まれたのは東京だった。だからそれを東京、日本で披露するというのもいいんじゃないかと思ったんだ」
●なるほど。そんないきさつがあったんですね。
バーナード「あとは“クラフティー”の前半を日本語で歌うっていうのもね。申し訳ないけど1曲全部は無理だった(笑)。通常ヨーロッパとアメリカでアルバムをリリースするときは日本盤にボーナストラックを収録するんだけど、あのアルバムのレコーディング後は何も残ってなくて、だから別の曲じゃなくて日本語で歌おうということになって。それで通訳2人、男性と女性に発音を書いてもらって、それを見ながら歌ったんだ。それで今ので合ってるか訊いても、日本の人はノーと言わないから、女性の通訳さんがノーって言ってくれなくてね(笑)。『合ってますか?』と僕が訊くと『んん……』とだけ返ってきて。『違ったら違うって言ってくれて大丈夫だから』と言っても『んー』て言うから、じゃあ『んー』はダメって意味だよねって言うと、『むむむむ』(踏ん張るみたいな声)と(笑)。
というわけですごく難しかった。今回1曲丸ごとはできなかったけど、日本語で歌うのは興味深かったよ。不思議なことに英語の歌詞よりも日本語の歌詞の方が覚えていて。僕の頭はどうかしてるんだ。とにかく日本との文化の違いは興味深いし、それにここが好きだしね。まあ食べ物がちょっと興味深すぎる場合もあるけどさ。昨日は腸(モツ?)が出てくるすごく変わったレストランで不思議だった」
●ありがとうございました。次はぜひニューアルバムのインタビューでお会いしたいです。
バーナード「(ニヤリと笑う)」
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