ずっと真夜中でいいのに。
(文=小川智宏)
今回唯一の邦楽アクトとしてGALAXY STAGEに立ったずっと真夜中でいいのに。は、ステージを通してその個性とクリエイティビティを思いっきり解放してみせた。
ステージのいちばん高いところに立ったアンドロイドのようなACAねを中心に、作業服姿で実験失敗後のように髪の毛を爆発させた9人のミュージシャンがステージを埋め尽くす。所狭しと置かれているのは、ドラムやギターやベースに加えて、ブラウン管テレビやオープンリールテープ、扇風機などなど。それらはすべてオブジェではなく「楽器」である。
個人的にも久しぶりに観たZUTOMAYOのライブだが、やはりおもしろい、というか、この日のようなラインナップのなかに入るとその特異性と大衆性が際立つ。洋楽アクトのなかに入るとその音楽性はきわめて「邦楽的」だと感じるが、一方邦楽シーンにおいてもZUTOMAYOは明らかに異質というか、邦楽的なエッセンスすらも批評的に取り入れているのがこのバンドである。そのどこにも属さない感じをステージ全体で醸し出しながら、どこまでもキャッチーな歌を響かせるACAねという存在は、周りから浮けば浮くほど魅力的に映る。
“海馬成長痛”のファンキーな歌い回しから、アニメのエンディングテーマとして浸透した“TAIDADA”のキャッチーなボーカル、透き通るようなハイトーンに切実さが滲む“過眠”、クラシックなピアノとともに感情を溢れさせる“またね幻”、そして三味線とヒップホップが異世界で出会ったような“機械油”……多彩な表現を駆使するバンドメンバーの演奏のなか、ACAねもまたさまざまな顔を見せてライブを展開していく。そのたびにオーディエンスが息を呑む音が聞こえてくるようだった。
メンバーによって赤い誘導灯を振り回すヲタ芸パフォーマンスも繰り出された代表曲“お勉強しといてよ”と“マイノリティ脈路”を経て「今日はアップルパイを食べて、カヌレはキープしました。みなさん、飯も食べずにここに来てくれてありがとうございます。今、めちゃくちゃ楽しいです」と告げ、ラストの“暗く黒く”へ。バンドのソロ回しが繰り広げられるなか、ACAねも扇風機を楽器化した「扇風琴」を弾く。最後の最後までテンションを高めきって終わったライヴは、圧倒的な余韻をあとに残したのだった。
Blossoms
(文=粉川しの)
ベテランのビッグネームや新進気鋭の若手バンドが一堂に会するのがフェスの醍醐味だが、とりわけ洋楽コア層にフォーカスしたロキソニの場合は、本国との人気格差によって来日が難しくなっているバンドたちにとって、彼らのステイタスに相応しいキャパがきっちり埋まる、貴重な場になっている。今年で言えば、その最たる例がブロッサムズだろう。
かつての由緒正しいインディポップの佇まいから一転、2020年代以降は80sやダンスミュージックも大胆に取り入れたポップロックバンドとして、最新作の『Gary』まで3作連続全英1位という、今や名実共にUKシーンのトップに食い込む大活躍を見せているのだ。
だからブロッサムズの約8年ぶりのステージは、単なる経年成長ではなく、多次元に目覚ましい進化と飛躍が同時進行する、驚きの内容になっていた。オープナーの“ユア・ガールフレンド”からしてチャカポコとカウベルを鳴らしながらのエレポップで、細かく軽妙に刻むギターはナイル・ロジャースを憑依させている。
“Perfect Me”なんてザ・キラーズにも通じるエモポップだし、片や“What Can I Say After I’m Sorry? ”はラウンジーなバロックポップと自由自在、そして共通するのはとにかくスケールが大きいこと。それが地元凱旋公演では数万人の会場を埋めている、彼らの現在地なのだろう。
バンドの佇まい自体も激変しており、取材時のコージーなセーターを脱ぎ捨て、タンクトップにサングラスという出立ちのトムは、その細長い手足と相俟って猛烈フォトジェニック、フロントマンとして見事に開花している。メンバーの動きにストップモーションを取り入れてみたり、小芝居を繰り広げたりするショーマンシップも、以前には考えられなかったものだ。
そして何よりもびっくりしたのが、こんなにも骨太ファンキーなバンドに鍛え上げられていたこと。広義の地元マンチェスター仕込みのグルーヴも、今の彼らは余裕で乗りこなしている。ラストのお馴染み“シャルルマーニュ”は、最早クラシックの風格だ。終演後、「思っていた感じと全然違った」、「こんなに上手いバンドだとは思わなかった」、「無茶苦茶楽しかった!」といった感想が周りから聞こえてきたが、今年のロキソニで最も(良い意味で)予想外だったのが、彼らではないか。
Kneecap
(文=小川智宏)
オープニングのSEが流れた瞬間に巻き起こったオーディエンスの声が、このステージに対する期待の高さを感じさせる。ニーキャップ、日本初お披露目である。まずはアイルランド国旗柄の目出し帽がトレードマークとなっているDJプロヴィが出てきてお辞儀。さすが元教師、礼儀正しい。そしてモ・カラとモウグリ・バップの2MCが躍り出てくる。ラップの切れ味もさることながら、ライブ全編を通して「コンニチワ、トーキョー!」とか「アリガトゴザイマス!」とか「アザース!」とか、日本語を駆使してフロアを盛り上げようとしているところに、こいつらの人柄のよさが表れていた。
とかく政治的なスタンスで語られがちなニーキャップであるし、そこはこのグループの超重要なポイントではあるのだが、それ以前にこの3人はローカルの超ヤンチャなパーティクルーである。しかも彼らの場合、ゲール語でリリックを書いていることもあって、言語的には世界中ほとんどの場所でアウェイということになる。それをカバーするにはなおさらパフォーマンスでアゲていく必要があって、それを3人は最初から最後までまっとうしていた。
メロウに始まった“Thart agus Thart”では「トベー!」という言葉にフロア中がジャンプ。2MCはもちろんだが、DJプロヴィもしょっちゅうブースを離れてステージを歩き回っていて、そのフリーダムな感じはまるでビースティ・ボーイズみたいだ。それどころか彼はライブ後半には2人を差し置いてフロアに飛び込んでいた。正直「おまえがいくのかよ!」と笑ったが、その全身全霊の盛り上げぶりは愛らしくすらあった。
「これが初めての日本です。最後にならないことを願ってるよ」とジョークを言いながら、ライブ後半にかけてボルテージはさらに上がっていく。そしてそれに伴って、彼らの放つメッセージもどんどん強まっていった。スクリーンにパレスチナ国旗を掲げ、自分たちを排除しようとする英国政府に「Fuck the British Government!」と叫び、そしてオーディエンス全員と一緒に「Free Palestine」のチャントを巻き起こす。どれもほとんどの日本人にとってはリアリティの薄いものだろう。だが、何よりも最高のパーティ空間であるという前提が日本のオーディエンスの心を開いて、そのメッセージにパワーをもたらしていた。
Just Mustard
(文=小川智宏)
フェスティバルのオープナーを務めたのはアイルランド、ダンドーク出身の5人組、ジャスト・マスタード。これが日本でのファーストショーだ。David NoonanのギターリフにShane Maguireのパワフルなドラム、Rob Clarkeの地を這うようなベースラインから生まれるグルーヴを、Mete Kalyoncuo?luの電動ドリルみたいなギターノイズが切り裂く。そして真ん中でタンバリンを振るKatie Ballのアンニュイなボーカルが響き渡った。1曲目は“Seven”だ。
そこから轟音ノイズの上を軽やかにサーフする“POLLYANNA”、ずっしりと重たいリズムが鼓膜を抉るように鳴り響く“Frank”と、新旧の楽曲を織り交ぜてライブは進んでいくのだが、正直、そのパフォーマンスは期待していた以上にすばらしかった。音源ではもっとソフトな印象もあったサウンドは鋭利でヘヴィでアグレッシブ。シューゲイズというよりもインダストリアル風味の強い、パンチのある出音が幕張メッセの空間ともマッチして、ダイナミックな光景を生み出していく。はじめは様子見の雰囲気があったオーディエンスも、曲を経るごとに熱を帯びた感性や拍手を送るようになっていった。
ノイジーでエクスペリメンタルなサウンドに舌足らずの女性ボーカルという図式はそれこそコクトー・ツインズの昔から鉄板なのだが、Katieの歌声は単に優しいだけではなく、甘さのなかに鋭さを隠し持っているような二面性が魅力。“Deaf”などではそこにDavidのエモーショナルなヴォーカルが重ねられていくのだが、その、静のKatieと動のDavidという対比もいい。長身痩躯にアイリッシュらしくアランセーターを着たDavidがマイクに齧り付くように声を張り上げるたびに、フロアから歓声が湧いていたのが印象的だった。
もうひとつ、ツインギターの色分けもこのバンドの音に明確なフォルムを与えていた。主にコードで楽曲の骨格を作るのがデヴィッド、飛び道具的なサウンドエフェクトをかますのがMete。後半の“WE WERE JUST HERE”とニューアルバムからの楽曲を連打するパートではそのコントラストがいっそう際立って、バンドのアンサンブルを立体的に見せていた。ただ、フェスではやっぱり時間が足りない。次はぜひツアーのロングセットで観たい。
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