松村雄策、亡くなる

松村雄策、亡くなる
松村も自分でも書いていたが、長い闘病期間が続いていたので、心の準備はしていたが、やはり悲しいし悔しい。亡くなる3時間前まで会っていて、また来るなと言って別れたのに、亡くなったと聞いて信じられなかった。1ヶ月前に孫が産まれ喜んでいた。娘さんも孫の顔を見せたいと言っていて、その望みは叶えられた。
そのお孫さんや家族に看取られての最後だった。安らかに天国へ旅立ったと思う。
友人として距離が近くて、余り追悼文みたいなものが書けない。そうしたものは、次のロッキング・オンに書く。
好きなように生きたんだから、覚悟はできているといっていた。でも後2年は生きたいとも言っていた。
ロッキング・オンの50周年号は読んだらしい。創刊メンバーで50年書き続けたのは松村と僕だけだった。
松村の部屋はビートルズのポスターがたくさん貼ってあった。「まるで学生の部屋みたいでしょう」と家族が言っていたが、本当に学生の部屋みたいだった。部屋だけみたら、そこに70歳の老人が住んでいるとは誰も想像できないだろう。松村の精神世界そのままの部屋だった。
ロッキング・オンの50年は、僕たちの長い青春の50年でもある。松村は青春のまま人生を全うした。
ロッキング・オンを50年続けられたのは松村がいたからだ。本当にありがとう。安らかに眠ってくれ。
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