藤圭子、亡くなる

藤圭子、亡くなる

高校時代、僕たちはロック・ミュージシャンについて語るように、藤圭子について語っていた。というか藤圭子を熱く語るのはたいていがロック・ファンだった。五木寛之の演歌の物語は、それは大人のロジックとしてよく出来たものだとは思うが、僕たち高校生は違う聞き方をしていたような気がする。
僕たちは演歌には何の興味もなかったが、藤圭子は本当に好きだった。だから、それが何故なのかを熱く語ったのだと思う。何で彼女の歌はロックのように、高校生の僕たちの心を揺らすのか、それは熱く語るにふさわしいテーマだったのだ。
幼い高校生なりに導いた結論は、彼女の持つ心の闇とロック・アーティストの持つ心の闇との相似性だ。僕らはそれに納得していた。高校生で藤圭子に興味を持つのはロック・ファンばかりだ、という謎の答えは僕たちにはそれくらいしか思い浮かばなかった。それは今になって考えても正しかったような気がする。
宇多田ヒカルさんの心境を思うと言葉を失う。なのでこのブログも書くのを迷った。しかし宇多田さんも、お母さんの歌を好きだったと思う。そう思って書いた。
ご冥福をお祈りします。
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