米津玄師「灰色と青(+菅田将暉)」が語りかけてくるもの

(ロッキング・オン・ジャパン12月号 コラム『激刊!山崎』より)



先月号の「激刊!山崎」も米津玄師について書いたが、今月も引き続いて米津玄師について書く。
今最も語るべきアーティストだと思うし、アルバム『BOOTLEG』は日本の音楽シーンのこれからの10年を方向づけるような決定的な作品だからだ。
 
 もう散々言われていることだが、菅田将暉とのデュエット曲「灰色と青」が素晴らしい。
今月号の米津本人による全曲解説インタヴューの中で「正直、喰われるかと思った」と語っているぐらい菅田将暉の歌唱が素晴らしく、米津玄師の歌との鮮烈な対比によってとてつもないマジックを生み出している。
米津玄師のファンも、菅田将暉のファンも、そのどちらもよく知らなかった人も衝撃を受けたのではないか。
まさに今回のアルバムのラストにふさわしい最強のアンセムになっている。
 
そして、ある意味それ以上に最高だったのが、公開から24時間で140万回再生されたという、そのMVだ。
 
米津玄師は電車に乗って外をぼーっと見つめ、高架下をとぼとぼと歩き、そしてブランコに座り、最後は屋上に佇む。
菅田将暉はブランコに座ってタバコをひたすら吸い続ける。

それだけのMVである。

 あえてそういう演出のMVは確かにある。
いや、結構多いと言ってもいいかもしれない。
電車や高架下やブランコは、歌の主人公の孤独な心境や疎外感を表現するための定番の設定と言ってもいいのかもしれない。
でも、このMVはそうしたものとは決定的に違う。
 
このMVで僕らが見ているのは、歌の主人公としての演技や演出ではない。
僕らは、米津玄師と菅田将暉その人そのものを見ているのだ。
 
 
憂鬱な顔で電車に揺られ、暗い高架下をゆらゆら歩き、背中を丸めてブランコに座って、夜明けに屋上に上がって希望を探すあの姿、あれは米津玄師そのものだ。
打ちひしがれたようにブランコに座ってひたすらタバコを吸い続けるあの姿、あれは菅田将暉そのものだ。
演技なのか?素なのか?とかいう話ではない。
存在するということ、行為するということ……つまり肉体性という話だ。
この映像は、米津玄師と菅田将暉の肉体性によって成立している。
むしろあえてありがちな設定にして、米津と菅田の肉体性を引き出して映像に捉えた山田健人監督の手腕は素晴らしい。

 
巨大なスケールの才能を持つ米津玄師は、その才能の大きさにふさわしい肉体性をものすごいスピードで獲得していっている。
最初はボカロPとして自らの声さえ持っていなかったのに、歌を歌い、踊りも踊り、ライブではバンドも持ち、今では他者との関わりを通じて可能性を拡大することにすら挑戦している。
見ていてこれほどスリリングなアーティストはいない。
「灰色と青」のインパクトは、それをより多くの人に伝えたのではないだろうか。(山崎洋一郎)
山崎洋一郎の「総編集長日記」の最新記事
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