フィリップ・アンセルモが日本公演で往年の楽曲を披露! そして今、一層痛感させられる「パンテラ不在の罪深さ」とは?

フィリップ・アンセルモが日本公演で往年の楽曲を披露! そして今、一層痛感させられる「パンテラ不在の罪深さ」とは?

去る1月29日、名古屋・クラブクアトロにてフィリップ・H・アンセルモ&ジ・イリーガルズを観た。このライブは彼らの単独公演ではなく『Extreme The DOJO vol.33』のヘッドライナーとしてのもので、そもそもは昨年4月に組まれていた同公演がアーティスト側の急な体調不良により延期措置となっていたもの。当初は東京と大阪のみでの公演予定だったが、代替日程が組まれた際に名古屋公演が追加されたのだった。

今回の公演告知画像には、バンド名の下に「plays PANTERA songs」という見落とすわけにいかない重要な文字があった。パンテラのフロントマンを務めてきた彼がダウンではなく、スーパージョイント・リチュアルでもなく、ついにあの時代の曲を歌う、というわけである。彼がこうしたライブを実践することを決めたきっかけは、同バンドのドラマーであり、故・ダイムバッグ・ダレル(2004年12月8日、パンテラ解散後に組んだダメージプランの公演中、パンテラの解散の原因がダレルにあるものと思い込んだ狂信的なファンにより射殺されている)の実兄にあたるヴィニー・ポールが2018年6月22日に他界したことと無関係ではなく、早すぎる死を遂げたかつての同胞に対する哀悼の念、そして、彼にパンテラ時代の楽曲を歌うことを求めるファンからの多くの声が届いたからだとされている。


実際、2018年当時から、現在の彼が率いているジ・イリーガルズの公演セットリストの要所にパンテラの楽曲が組み込まれるようになり、場合によってはライブの後半すべてがそれで占められるようなケースも見られていた。また、昨年11月2日から30日にかけて、彼らはスレイヤーの最終ツアーにプライマスやミニストリーとともにスペシャル・ゲストとして出演しているが、その際にはパンテラの楽曲のみのステージを重ねていたりもする。ステージという戦場を離れようとしている盟友スレイヤーを、パンテラの楽曲とともに見送りたいという意思がおそらく彼にはあったのではないだろうか。

そうした事前情報がすでに広まっていただけに、この日の来場者の多くも「パンテラの曲を聴くこと」を目的としてその場に集結していたはずだ。一番手を務めた大阪のパームの鋭利で激烈な演奏(ついでに言うならMCも熱かった!)、続いて登場したオーストラリアからの刺客、キング・パロットの無闇にビール消費量の多いパフォーマンス(MCでいちばん頻度高く登場した言葉は「カンパイ!」だった)を経て、場内がこの夜三度目の暗転を迎えると、聴こえてきたのはテッド・ニュージェント率いるジ・アンボイ・デュークスが1967年に発表したセルフ・タイトルの1stアルバムに収められていた“ダウン・オン・フィリップス・エスカレーター”。調べてみると、ここ最近のライブではずっとこの曲をオープニングSEに用いているようだが、タイトルに「フィリップ」と「ダウン」が含まれているのは偶然だろうか? ちなみに彼自身が生まれたのはこの曲が世に出た翌年にあたる1968年であるようだ。

そんなノスタルジックな曲の響きをジ・イリーガルズの演奏が轟音でかき消すと、堂々たるたたずまいでフィリップがステージに登場。フロアの視線が彼に集中し、怒号にも似た歓声が起こる。以降、まずはこのバンドがこれまでに発表してきた2枚のアルバム『ウォーク・スルー・エグジッツ・オンリー』、『チュージング・メンタル・イルネス・アズ・ア・ヴァーチュー』(ともに去る1月、ワード・レコーズより国内発売されている)からの楽曲が続けざまに披露されていく。


そして7曲目に“マウス・フォー・ウォー”が炸裂すると、想定通り、それ以降はパンテラの楽曲の連打となった。その瞬間から、フロアの温度が一気に上昇したことは言うまでもない。その熱狂ぶりをモッシュピットの外側から眺めながら感じさせられたのは、今現在のシーンにパンテラが不在であることの罪深さだった。フロアを走り回る観客のなかには往年からのファンも多かったはずだが、同時に、パンテラの楽曲をライブで味わったことのない世代も含まれていたに違いない。

リアルタイム体験派世代と原体験が叶わなかった世代がともに盛り上がるさまというのは、近年、いわゆるクラシック・ロック系の公演ではよく目の当たりにする光景だ。もちろんパンテラの音楽をクラシック・ロックと呼ぶことにはいくぶんの躊躇もおぼえるし、読者からも「70年代ロックと一緒にするな!」という声が聞こえてきそうな気もする。ただ、いわゆるスラッシュ・メタルがいちばん極端かつ過激でメインストリームとは真逆のものとされていた80年代を経て、パンテラが『カウボーイズ・フロム・ヘル』という画期的発明品のようなアルバムを発表したのは1990年、続く『俗悪』で人気を決定付けたのは1992年のことだ。つまり、グランジ・ムーブメント発生からの年月と同じだけの時間をすでに経過しているのだ。

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当時、僕はパンテラを「ジューダス・プリーストの後継者的存在になるのではないか」と見ていた。反論も多かったが、結果、彼らはそれ以前のスラッシュ・メタルと、それ以降のより細分化が進んだエクストリーム・メタルとを繋ぐような役割をロック史の中で果たしたのではないかと思われる。そして僕がパンテラの不在を罪深きものと感じたのは、クラシックなものとエクストリームなものとの二極化が進み、その中間にぽっかりと穴が開いたような近年のシーンの状況を踏まえた時、彼らがいてくれたならそこに君臨していたはずなのに、と感じさせられたからなのだろう。実は同じようなことを、スキッド・ロウについても感じてきたのだが。


ただ、前述の通りパンテラの主軸であるヴィニー・ポールとダイムバッグ・ダレルの兄弟はすでに他界している。フィリップはこのバンドのオリジナル・メンバーではないが、「パンテラの声」と誰もが認識するものの持ち主は彼しかいない。彼にはこのバンドの素晴らしさを継承し、後続世代にも伝えていく使命があるはずだと僕は思う。もちろん今、こうして彼が現在の仲間たちを従えながらパンテラの楽曲を演奏しているのも、そうした自覚があるからこそなのだろう。


しかし、正直に告白するならば、そうしたミッションを果たすには今のような形のままでは無理があると僕は感じた。そもそもジ・イリーガルズは、パンテラとはタイプの異なるバンド。さすがにここ1年以上にわたりパンテラの曲をプレイする機会を重ねてきただけに、その演奏ぶりに不安や不足はなかったが、フィリップという強烈な存在と火花を散らし合うような特別さは残念ながら感じられなかった。ただ、それでもバンド・メンバーたちにはむしろ労いの言葉を掛けたいくらいの気持だ。そしてフィリップ御大に対しては、彼にしか果たすことのできないことを実践するための、より相応しい環境を自ら開拓し、改めて相応しいスケール感とクオリティを伴った状態で、パンテラの音楽の魅力を再提示して欲しい。心から、そう願わずにいられない。(増田勇一)
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