ギター・ロックの純度、アイリッシュ・バンドとしての揺るぎないアイデンティティ、ロック極上のリリシズムを兼ね揃えたフォンテインズD.C.に、今こそ私たちが出会うべき理由

ギター・ロックの純度、アイリッシュ・バンドとしての揺るぎないアイデンティティ、ロック極上のリリシズムを兼ね揃えたフォンテインズD.C.に、今こそ私たちが出会うべき理由

フォンテインズD.C.のデビュー・アルバム『Dogrel』は、2019年を代表する傑作ロック・アルバムだった。

ど直球のギター・ロックが、バンド・ミュージックがこの時代に未だ有効であることを証明した『Dogrel』は、今後数年間のギター・ロック・シーンの道標を示したという意味でも極めて重要なアルバムだったけれど、そんな『Dogrel』からわずか1年、なんと早くもセカンド・アルバム『A Hero’s Death』がリリースされる! 晴れて日本盤のリリースも決まった。

『Dogrel』の日本盤が出なかったこと、デビュー・アルバムを引っさげての初来日が叶わなかったことは2019年の大きな心残りのひとつだったけれど、この『A Hero’s Death』によっていよいよ日本でも彼らの真価を体感できる機会が増えるはずだ。

7月31日のリリースを前に、今こそ私たちがフォンテインズD.C.に出会うべき理由をまとめてみました。

ギター・ロックの純度で勝利した「異色の正統派」

まずは『A Hero’s Death』からの最新シングル“Televised Mind”のMVをご覧いただきたい。


冒頭わずか12秒のベース・イントロだけでも痺れるほどカッコいいこの曲のように、ミニマルにしてシャープなポスト・パンク、究極の硬度を突き詰めるかのように無駄を削ぎ落とし、ギター・ロックの純度を極めたサウンドがフォンテインズD.C.の基本形だ。

全英チャート10入り、NMEとガーディアンが揃って5点満点をつけ、ピッチフォークもUKロック新人としては異例の高得点(8.0)を捧げるなど破格の評価を得た『Dogrel』は、言わば「異色の正統派アルバム」だった。

良く言えば折衷的、悪く言えばギター・ミュージックである必然を手放すことでロック冬の時代を生き残ろうとするモダン・ロック・バンドの潮流に抗い、ひとり正面突破に成功した彼らは2010年代の終わりに登場したゲーム・チェンジャーであり、そういう意味ではザ・ストロークスの『イズ・ディス・イット』やアークティック・モンキーズの『ホワットエヴァー・ピープル・セイ・アイ・アム、ザッツ・ホワット・アイム・ノット』に似た意味合いを持つデビュー・アルバムだったのだ。

ミニマルでシャープなアルバムのサウンドと、そのギリギリまで抑えた抑揚が一気に爆発して解放されるライブ・サウンドの落差も最高だ。


スタンドマイクをむんずと掴み、ぶっきらぼうに、そして挑むような眼差しでオーディエンスを射抜きながら歌うボーカルのグリアンの佇まいは、イアン・カーティスとリアム・ギャラガーのハイブリッドとでも喩えたくなる。

フジロックの開催延期でフォンテインズの初来日が幻になってしまったことがつくづく無念でならないが、仕切り直して来年来てくれることを祈りつつ、ここでは「KEXP」セッションのフル映像をご紹介。

Fontaines D.C. - Full Performance (Live on KEXP)
https://youtu.be/hvv3ewYCyIU

ちなみに新作からの先行シングルだった“A Hero’s Death”のインスピレーション源としてビーチ・ボーイズの名前を挙げていたように、『A Hero’s Death』ではリバーブの効いた空間で浮遊感たっぷりにたゆたうハーモニーやコーラスが彼らの新境地を開拓している。

「Radio X」の企画でカバーしたジーザス&メリー・チェインの“Darklands”がずっぱまりだったのも、そんな新作での新境地があったからこそだろう。


フォンテインズD.C.は一冊の詩集から始まった

2017年にアイルランドのダブリンで結成されたフォンテインズD.C.。

彼らの最初の作品が『Vroom』と題された詩集だったというのも、このバンドの異色な正統派を裏付ける史実だ。結成3日の素人バンドだろうが自称シンガーソングライターだろうが、誰もが簡単に音源をネットにアップできるこのご時世に、紙に印刷された数百部の詩集を手売りしていたフォンテインズD.C.の時代錯誤ぶり、そこからわずか2年で傑作『Dogrel』に辿り着いてしまった覚醒ぶりは本当に驚異だ。

でも、「言葉ありき」で始まったからこそ彼らの音楽はブレないし、どんなに分厚いノイズも突き抜けてオーディエンスの胸を打つグリアンの歌声には詩人の矜恃が宿っている。

“Too Real”では20世紀の英国を代表する詩人T.S.エリオットの「プレリュード」をオマージュし、“Boys in the Better Land”に「ジェイムス・ジョイスの小説みたいなハートを持ったモデル」を登場させているのを挙げるまでもなく、アイルランドが誇る作家ジェイムス・ジョイスも彼らのアイドルの一人だ。



“Roy’s Tune”のように情景が眼に浮かぶ写実的な歌詞もあれば、どこまでも抽象的ではぐらかす“Hurricane Laughter”のような歌詞もある。また、フォンテインズD.C.の曲の大きな特徴のひとつが「反復」で、彼らは1曲の中で何度も執拗に同じフレーズを繰り返し歌う。

そして「人生はいつも空っぽなんかじゃない(Life ain’t always empty)」と繰り返す“A Hero’s Death”が、空疎な人生のぼんやりした哀しみに満ちたダークなエンディングを迎えるように、言葉と気持ちが互いを裏切り合い、現実と虚構が反転していく彼らのリリックの危うさに、ビートニクからの影響が色濃いことは言うまでもない。

地元愛炸裂! アイリッシュ・バンドとのしての揺るぎないアイデンティティ

ジェイムス・ジョイスが名作『ユリシーズ』の中で克明にダブリンの街を描写したように、フォンテインズD.C.もまた、自分たちのホームタウンであるダブリン、アイルランドを度々楽曲の背景に用いてきたバンドだ。

『Dogrel』は冒頭で「雨のダブリンは僕のもの(Dublin in the rain is mine)」と歌う“Big”で幕を開けるし、「子供時代はちっぽけだった、でも僕はビッグになるんだ」とリフレインする中、生意気そうな少年がダブリンの街中を練り歩くMVも最高だった。


また、“Boys in the Better Land”や“Sha Sha Sha”ではダブリンのタクシー・ドライバーが名脇役のように繰り返し登場する。一人孤独に夜のダブリンの街を流す彼らのイメージは、『Dogrel』にハードボイルドな魅力を与えている。


“A Hero’s Death”のMVには『ゲーム・オブ・スローンズ』で知られる俳優エイダン・ギレンがゲスト出演しているが、ギレンもまたダブリン生まれのアイルランド人だ。また、アルバム・タイトルの『A Hero’s Death』はアイルランドの小説家ブレンダン・ビーアンの著作の一節から取られているし、ジャケットにフィーチャーされた彫像はケルト神話の英雄「クー・フーリン」のものだ。徹底して地元ダブリン、アイルランドのモチーフに拘る彼らは「アイルランド文化を世界に向けて発信していきたい」と語っているし、そもそもフォンテインズD.C.の「D.C.」は「Dublin City」の略だったりもする。


このグローバリズムの時代、英国のEU離脱のような「国家」によるアイデンティティの保守運動はもはや不可能に思えるが、フォンテインズD.C.のようにナショナル・アイデンティティ、ローカリズムを「個」として内在させた表現、そこに宿ったリアリティは誰にも奪えない強みだとも感じる。

2010年代末、フォンテインズD.C.やThe Murder Capital、Just Mustardら新世代のアイリッシュ・バンドがUKメディアから憧憬混じりの注目を集めたのも、彼らの揺るぎないアイデンティがEU離脱の影響をもろに受けて揺らぎまくっているUKロックとの対比が鮮烈だったからだろう。

フォンテインズD.C.が再び息を吹き込んだロック極上のリリシズム

フォンテインズD.C.はアイドルズやシェイムのような、2010年代後半を代表するイングランドの新世代パンク・バンドたちとしばしば比較されてきた。彼らはアイドルズとツアーを回った経験もあり、互いにリスペクトし合う関係にある。

ただし、フォンテインズD.C.とアイドルズ、シェイムのポスト・パンク・サウンドにはとある部分において大きな差があって、端的に言えばそれはリリシズムとロマンティシズムだ。ザクザクとためらいなくメロディを切り刻んでいく彼らのギター・サウンドは冷たすぎて触ると痛熱い氷の表面のようだが、その内側から小さな蝋燭の灯火がじわじわと氷を溶かしていくような、どこか甘く密やかな、時に優美ですらある感覚が宿っているのがもう一つの魅力でもあるのだ。

前作の“Roy’s Tune”はまさに彼ら流リリシズムの極みの一曲だった。ダブリンの小さな飲食店でバイトしていた経験を、フラストレーションと諦念が入り混じった極上の青春譚に仕上げた手腕は見事の一言だ。


ただし、彼らのそんな思春期的なリリシズムは新作『A Hero’s Death』に至ってかなり変容している。デビュー・アルバムの破格の成功の代償のように果てし無く続くツアーの日々に疲弊し、自分たちを見失いかけていたという直近1年間の葛藤がダイレクトに反映された同作は、よりダーク・ロマン的な世界へとリスナーを導くものになっている。

「俺は誰にも、どこにも属していない」と歌う“I Don’t Belong”は、誇り高い孤高の表明の中でナイーヴな孤独の哀しみが広がっていく痛切なナンバーで、こういう曲と冒頭の“Televised Mind”のようなナンバーが混在していることからも、またもや傑作の確信が深まっていくのだ。


なお、明日7月7日発売のロッキング・オン最新号では、満を持してフォンテインズD.C.の初インタビューを敢行! こちらもお楽しみに。(粉川しの)
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