6月に入って夫婦でのジョイント・ツアー、「オン・ザ・ランⅡ・ツアー」に乗り出しているビヨンセとジェイ・Zだが、16日のロンドン公演終了間際に突如アナウンスされたのが今回の『エヴリシング・イズ・ラヴ』で、その日のうちにリリースされることになった。ビヨンセはここ数作、電撃的な緊急リリースを繰り返してきたので彼女の作品かと思われていたが、なんと名義はビヨンセとジェイの名字にちなんだ「ザ・カーターズ」。ツアー同様、ふたりのジョイント・アルバムだったことが明らかになったのだ。
内容はまさにそんなビヨンセとジェイのアルバムだとしか形容のしようがない。つまり、現代R&Bとヒップホップ界にそれぞれ文字通り君臨するモンスター夫婦が本当に一緒にアルバムを本当に作ってしまったのである。仮にもふたりのコラボレーションということになれば、どうしてもヒップホップ的なアプローチも必要なので、当然、そこには俺様節的な内容も入ってくることになる。というわけで、ジェイとビヨンセは、世界の音楽シーンに君臨するセレブ夫婦としての俺様節を本当に繰り出してしまうのだ。これはもう誰にも太刀打ちしようのない、すさまじいものになっている。しかし、もちろん、それはショービズとしてのものであって、このアルバムの基本テーマはふたりの愛。それを真正面からやっているところがとても感動を呼ぶものになっているのだ。
このアルバム制作の発端となっているのは、ここ数年さんざん取り沙汰されてきたジェイの浮気/不倫だ。14年頃に発覚したジェイの不倫をビヨンセは長い対話によって乗り越えていくという方向に導いて行ったが、16年に彼女はその間の経験を『レモネード』として緊急リリース。アルバムは相手の不実をテーマとしながら、同時にアメリカの黒人家庭では女性がそのような理不尽な経験を負わされてきたことが多いことも取り上げ、黒人として受ける被差別構造の中で女性として受けるさらなる被差別という経験と感情を作品化するという、R&Bの歴史の中でも画期的な作品となって絶賛を呼んだ。
これに対してジェイは昨年『4:44』をリリースし、ここでこの不倫問題のビヨンセへの返答のほか、ヒップホップでは通常取り上げないテーマを、たとえば自身の母親が同性愛者だったことなどを取り上げる踏み込んだ内容になっていた。さらに衝撃的だったのは“キル・ジェイ・Z”でこれまでの自身のアイデンティティの在り方を打ち消したことで、かつてやさぐれていた過去にこだわっていてはいつまでたっても自分の現実と折り合えないと腹を括ったことだ。したがってビヨンセへの謝罪のほか、自身の生い立ちやヒップホップの現在など、すべてを見直した作品としてこれもまた絶賛を浴びることになった。
では、ふたりがそれぞれの充実した作品をまず仕上げてから今回の共同作業に取りかかったのかというと、そういうわけではなくて、そもそもこのコラボレーション・アルバムにふたりで取りかかっているうちに、『レモネード』と『4:44』の方が先に仕上がってしまったという。いずれにしても、『レモネード』と『4:44』もふたりの関係修復なしにはありえなかった作品で、そのふたりの現在の絆をつまびらかにしてみせるのがこの『エヴリシング・イズ・ラヴ』なのだ。
そのふたりの現在の関係を綴るのがオープナーの“Summer”で、リゾートの海岸や沖合で連れ添うふたりの姿が素直に描かれ、愛し愛されるふたりの絆が綴られ、クラシックな甘いR&Bサウンドが究極のサマー・ソングにこの曲を仕立てている。つまり、女、男、生い立ち、社会などをすべて見直した結果として、今の自分たちがあり、また、今この瞬間の官能もあるという、素晴らしすぎるラブ・ソングなのだ。
続く“Apeshit”から中盤にかけては強烈なビートやトラックとともに夫婦俺様節がさまざまな形で繰り広げられるが、ふたりの本当の心情が吐露されていくのは“Friends”からだ。本当の友人たちだけが自分たちを引き上げてくれるとビヨンセが歌い上げていく一方で、自分たちの関係が危機に陥っていた時にカニエ・ウェストの挙式に行けるはずもなく、それに物申すのならそれはもう友達とはいえないと綴るジェイの決意が切ない。圧巻なのは強烈なグルーヴと甘いフックとで綴られる“Lovehappy”で、またしても海岸の光景が語られるが、この海岸はいつも楽園だったわけではないけれども悪夢は一夜で過ぎて行くものだとすべてを乗り越えた自分たちの現在が確認される。ふたりもまた新章に突入したことを告げる、力溢れる締め括りとなっている。 (高見展)
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ザ・カーターズ『エヴリシング・イズ・ラヴ』のディスク・レビューは現在発売中の「ロッキング・オン」8月号に掲載中です。
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