こんな時だからこそ、音楽の力を! ディランが放った歴史的な傑作

ボブ・ディラン『ラフ&ロウディ・ウェイズ』
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ALBUM
ボブ・ディラン ラフ&ロウディ・ウェイズ

後出しジャンケンのようでいやだが、確かに予感はあった。あれだけの曲“最も卑劣な殺人”を、何の予告もなく突然リリースしたことにディランのとてつもない自信を感じていたからだが、それでもこれほどの作品とは。2020年にこのアルバムがリリースされたという事実は、新型コロナウイルス禍と並んで歴史に刻まれていくことになるだろう。

通算39枚目、8年ぶりのオリジナル・アルバムは『追憶のハイウェイ61』や『血の轍』と共にディラン・ヒストリーを語る時、代表作として必ず挙げられる傑作だ。楽曲、歌唱、アートワークなどすべての要素が名盤の気高さを築いているし、先行リリース曲の整然とした流れも説得力に満ちている。

最初の“最も卑劣な殺人”は、アルバムの核であると同時に、ある意味でもっともポピュラリティを持ち(そこらは6月号のレビューで詳しく触れた)、その手応えに驚いているところに届けられたのが“アイ・コンテイン・マルチチュード”で、詩人ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』の一節からタイトルがとられた楽曲の肝は、万物から刺激を受け、歌を紡いできたのが自分であるとの改めての宣言だった。

敬愛するジミー・ロジャースのアルバム・タイトルをモチーフとした新作『ラフ&ロウディ・ウェイズ』は、その“アイ・コンテイン・マルチチュード”に始まり、これまた先行配信された“偽預言者”で本格的に幕を開ける。マタイの福音書の〈羊の衣を纏った強欲な狼である偽預言者に気を付けろ〉から取られたと言われる曲は、50年代のR&Bシンガー、ビリー“ザ・キッド”エマーソンの“イフ・ラヴィン・イズ・ビリーヴィング”を原型とし、“ハロー・メリー・ルー”などポップス・ヒットのタイトルを交え展開する。この先行配信2曲の導入から繰り広げられるアルバムはとにかく表情豊かだ。

〈曲は絵画のようなものだから、あまり近くに立ってしまうと全体の絵が見えなくなる。個々のピースは大きな全体の一部でしかないんだ〉とのディランの言葉を忘れないようにとは思うが、個々の味わいは極めて深く、さらに近年のアメリカン・スタンダードに軸を置いたライブを共にしてきたバンドのギター、ペダル・スティール、バイオリン、キーボード、ドラムスなどによる、一見地味ながら細かいニュアンスに富んだ演奏が自由に飛翔する言葉を、さらに膨らませていく。

《何を飲もうが食べようがどうでもいい/私は裸足で剣の山に登った》とブルース・クラシック・パターンの“偽預言者”では言い放ち、続く“マイ・オウン・ヴァージョン・オブ・ユー ”では死体からパーツを集め、理想的な恋人を創り上げる神の視座を、バックの抑制の効いた絶品の演奏を借りて描き、《このトンネルの終わりに光はあるのか》と問いかける。かと思えばヘヴィな足下を照らす4曲目の“あなたに我が身を”では、ゴスペルやドゥーワップのエッセンスを持つコーラスを背に美しい国に祈りを捧げていくが、これがさながらディラン流“我が祖国(This land is your land)”のようにも聞こえてくる。

そんな思いを切り裂くように黒い装束に身を包んだ“ブラック・ライダー”が不吉な光景を運び、次にアルバム中もっともアグレッシブなギターの“グッバイ・ジミー・リード”へとつながる。50年代シカゴ・ブルース界で活躍し、初期ストーンズのギター・スタイルに最も影響を与えた人をネタにバンドと共にポピュラー・ミュージック、ブラック・ミュージックの周縁をなぞるさばきもみごとなら、エロティックで下世話な歌詞あたりは自然とジャケットのジューク・ジョイントの光景にもつながるあたりの俗っぽさも良い。

祈りを前面に出した“マザー・オブ・ミューズ”、新たな旅立ちに向かう“クロッシング・ザ・ルビコン”、そしてゆったりと揺らぐリズムに乗り、ジャック・ケルアックの『路上』を片手に最後の“キーウェスト(フィロソファー・パイレート)”へとたどりつく。その次に、ディスクを分けて置かれた曲こそ“最も卑劣な殺人”で、こうして全体で通して聴いてくると壮大な物語がうねるように動き出していく。

細部や文言に仕掛けられた複雑な意図を読み解いたり、イメージをつなげる膨大な楽しみは、いくら時間があっても足りないし、触れるスペースはなかったが、ベンモント・テンチやフィオナ・アップルといったゲスト陣も的確だ。

それにしても誰が、こんなアルバムの登場を予想しただろう。ディランという偉大なアーティストの後期にふさわしい大傑作、これをリアルタイムで体験できるのは同時代人として無上の喜びだ。 (大鷹俊一)



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ディスク・レビューは現在発売中の『ロッキング・オン』8月号に掲載中です。
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ボブ・ディラン ラフ&ロウディ・ウェイズ - rockin'on 2020年8月号rockin'on 2020年8月号
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