間違いなく意図的にアヴリル・ラヴィーンのデビュー作『レット・ゴー』を参照したであろうジャケットに、まず目を奪われる。そして再生してみれば、サウンド面においても2000年代初めより隆盛したアヴリルを筆頭とするガールズ・ポップ・ロックの影響が前面に出ていることに驚く。この作風の変化の理由はどうやら作曲体制にあり、全曲がフロントを担うヘザー・バロン・グレイシーとドラムのキアラ・ドランとの共作であった前作に対し、今作において同様の手法は3曲のみ、残りの曲は全てヘザーによって書かれたものとなっている。前作においてもどちらかというとロック・フリークなキアラに対し、自由な音楽的嗜好を持つヘザーという印象があったが、その違いが顕在化しているのだ。
また、自身がイニシアティブを握ったことにより、リリックにおいてはヘザーの心の内のより深い部分がひりつくような切実さで書き込まれており、逆から見れば、そうしたリリックをポップとして成立させるために恐らくこの形しかなかったのではないかとも思える。ポップとロックとの大胆な融合が前作を輝かせた最大の要因であったのに比べ、今作においては異なる2つを掛け合わせるのではなく、初めから両者が混然一体と存在している。そう、ヘザーはただ一人、その在り方を、それが自分であることを受け入れたのだ。乱暴に言ってしまえば、彼女のロール・モデルの一人であるロバート・スミス率いるザ・キュアーのファンにアヴリルのサウンドがどれだけ響くかは疑問が浮かぶし、逆にアヴリルのファンにとってキュアーの要素はノイズになりかねない。
しかし、ヘザーにとって、もはやそんなことは知ったことではないのである。何より優先すべきは、本作のテーマである「自分は誰か」という問いを極限まで突き詰めること。そして、その末に導かれた答えは、間違っても世代間の分断などではなく、自らが愛したもの、自らを育んだものをありのまま認めることだったのだ。どちらも揃っての自分なのである。だからこそ、いくつかの影響源が浮かぼうと本作のメロディはどこまでもヘザー独自のものになっているし、そんな楽曲へのバンドの確信から、ロックダウンによりリモートでの録音となりつつも、前作より遥かにまとまりが強まった完成度の高い演奏が収められているのだろう。自身がその流れの中にあることを充分に自覚した上で、大衆音楽の縦軸からも横軸からも解き放たれようと腐心した結果、ヘザーは、いやペール・ウェーヴスは、見事に2021年という現在の座標を歴史に刻んでみせたのである。(長瀬昇)
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