結成から12年目、ALL OFFがシングル『One More Chance!!』で遂にメジャーデビューを果たす。ALL OFFと言えば、作品をリリースするごとに変化を繰り返してきたバンドである。帰国子女であるso-hey(Vo)の英語力を活かした英語詞には徐々に日本語詞が混ざり、ストレートなラウドミュージックにも打ち込み、4つ打ちといったダンスの要素を取り入れ、ライヴではシンガロングを煽るようにもなった。これまでの11年間、彼らは一体何を思い、どんな信念に基づいて進化してきたのか? これを機に彼らの歴史をひもとき、「ALL OFFとはどういうバンドなのか?」という核の部分に迫るべく、so-heyとYukio(G)に話を訊いた。
インタヴュー=塚原彩弓
1stミニアルバム『From Midnight To Sunshine』~2ndミニアルバム『Start Breathing』
――まず、アマチュア・アーティスト・コンテスト COUNTDOWN JACKの初代の優勝バンドとしてCOUNTDOWN JAPAN 08/09に出演していただいたところから訊いていきたいんですが。率直にどうでしたか?
so-heyそれこそお客さんが30人以上いるところをほぼ経験したことがなかったので、すごく広くて。無我夢中でやったのをすごく憶えてますね。
Yukio2曲しかなかったんですけど、もう、この曲のここでこういう動きしたっていうところまで全部憶えてるんですよ。僕のバンド人生の中でトップクラスにインパクトがある出来事でしたね。
――そこから、1stミニアルバム『From Midnight To Sunshine』の制作に入って。1枚目なんですけど、当初からピアノを入れていたり、深夜から夜が明けていくっていうコンセプトもあり、結構盛りだくさんだと思うんです。
so-heyその先のCDリリースっていうのは何も約束されてなかったので、もうこれが一生で一枚だけっていう気持ちで書いて。出せるものは全部出せたらいいなっていう気持ちで作ったのをすごく憶えてますね。そう、一番おもしろいのが、ロッキング・オンから(COUNTDOWN JACKの)優勝賞金っていうかたちで100万円を渡されて、「これでCDを作って、ツアーとかも賄ってくれ」みたいな……僕らはその100万円を全部レコーディングに使っちゃって(笑)。自分たちでスタジオを押さえて、もう1ヶ月近く泊まり込みで使って。そんな大物アーティストみたいなことをやってました(笑)。だから、時間もお金もかかった、渾身の一作っていう感じです。
――これが初の全国流通だったんですが、出してみてどう思いました?
Yukio実際CDが並んだ時に、並んだこと自体はすごく感動したんですけど、そこから自分たちのCDを、じゃあどうやったら買ってもらえるのか?っていう、そこの難しさがわかったというか。これを売ることがいかに大変か?っていうことが逆にわかったんじゃないかなと思うんですよね。
so-heyまわりが僕たちを見る目が変わったっていうのもすごく憶えてて。僕らがやってることは変わらないんですけど、まわりは、「あ、プロになったんだ」みたいな。でも、CDが並んで手に取ってもらうまで――当時はマネージメントとかもいなかったので、今でもやってますけど、自分たちでお店を回って、「お願いします」みたいな感じで。試聴機に入ることがほぼ奇跡だったので、難しさを痛感しましたね。
――1枚目なのに、非常に地に足着いた考え方ですね。次に2012年に2枚目のミニアルバム『Start Breathing』がリリースされて。『QP』のトリビュート盤への書き下ろしの“Nothing”や、OBLIVION DUSTのRIKIJIさんプロデュースの“Let It Shine”みたいな、初めての挑戦もありました。これまではずっと自分たちでやってきて、第三者が携わることになった初めての作品だと思うんですけど、当時の手応えはどうでしたか?
so-heyいろんな方が関わるようになって、ソングライティングや歌い方に対してダメ出しされるところもたくさん出てきて。僕は結構戸惑いながら作ってって、あれよあれよという間に出来上がっちゃったんですね。自分のスキルが全然追いついてないのもすごくわかるし、ここからまたいろんな勉強をしなきゃいけないんだって実感したというか。今聴き返してもやっぱり、大事ではあるんですけど、個人的には、全然満足のいく作品じゃないなって思いますね。
Yukio僕は“Nothing”が個人的にはすごく思い出深くて。最初話が来た時に結構拡大解釈して、映画のタイアップが決まったんじゃないか?って。すごく嬉しかったんですよ。僕は映画だと思ってるんで、すごい画が見えてるわけですよ。それで、当時の僕らにしてはめちゃくちゃ新しいことができた。ある意味、今のALL OFFの路線にもつながっていて。
so-heyたしかに最初は主題歌かと思ってた(笑)。でも、当時から自分たちの好きなことじゃなくて、やっぱり原作のファンの人たちが、こういうの待ってたよ、みたいな曲を絶対作ってやりたいって思っていて。それはこれからも死ぬまで変わらないと思うんですよね。それを最初にやらせてもらったのが“Nothing”で。いろんな意味で力不足だったけど、すごく大事な1枚だと思います。
3rdミニアルバム『Follow Your Heart』~4thミニアルバム『Soundtrack For Your Lonely View』
――そこから10ヶ月後、3枚目のミニアルバム『Follow Your Heart』が発売されるんですが、この作品はもうわかりやすく変わった、進化作だと思うんですよ。あきらかにBPMも速いし、日本語の歌詞も入ってるし、4つ打ち、シンセも入って。
so-heyそれまで、自分のいいと思ってるものが凝り固まりすぎてたんですね。でも、それ以外の良さもあるっていうことをすごく教えてもらって。たしかに言われてみればいいかもしれない、みたいなものを重ねていって、自分の視野をバーッて拡げてったら、「ああ、いいと思えるものって世の中にいっぱいある」と思って。それがその後、いろんな曲につながってったんじゃないかなって思いますね。
――まさに、曲もカラフルでキャッチーで。お客さんに届けるということをかなり意識されてたんじゃないですか?
so-heyそうですね。でも、この作品を出したぐらいから、1、2枚目が好きだった人からは「なんか変わっちゃった」みたいに言われて。キャッチーな曲を書くと売れようとしてるみたいに言われると思うんですけど、僕はキャッチーなものが好きなんですよ。もともと、あんまり偏屈な音楽好きじゃなくて、シンプルで歌えるようなものが好きなんで、むしろやりたいのはこっちなんだよなって自分では思いながら作りましたね。
――なるほど。ライヴでの反応も全然変わったんじゃないですか?
so-heyああ、もう全然違いましたね。それまでは曲もわりと暗かったし、パフォーマンスも全然身に付いてなくて。でもこの作品で吹っ切れてからは、他のバンドに驚かれるというか、こいつら放っといたらマズいことになる、くらいの危機感を与えるほどライヴが激変して。ライヴバンド・ALL OFFとしての原点がここから始まったんじゃないかな?って思います。
Yukioso-heyが一番変わりましたね。ようやく自信がついたんだなっていう感じをメンバーがちゃんと感じられて。もちろんフロントマンなんで、彼に引っぱられるようにライヴをどんどんよくしていくっていうステップにいけたのがこの作品です。
――ここから先のALL OFFの礎を作ってる作品だと思いますね。そして4枚目は、2013年12月リリースの『Soundtrack For Your Lonely View』です。前作の流れを汲みつつ、今回はもう対訳が要らないくらい、日本語詞がすごく増えた。前作から日本語を取り入れていましたが、そもそも葛藤はなかったんですか?
so-hey個人的にはすごくありましたね。英語が武器だと思っていたので、結成した当初はそこを貫きたいって思ってたんですけど……ライヴで歌えてないんですよね、お客さんが。その時に、なんか申し訳ない気分になったんです。だから、日本語で歌える歌詞をちょっと入れてみようと思って。このバンドって、アーティスト肌というよりはなんか、勉強家の集まりみたいな感じなんですよね。今、歴史を振り返ってもらって思ったんですけど、普通だったらもうこういうのが完成された状態で世に出ると思うんですけど、僕らの場合は、未完成の状態からお客さんと一緒に育てていってるみたいな。(日本語を入れるのは)『Follow Your Heart』の時は、自分の力量的に1行2行が限界だったんです。いろんな曲を書くうちに、4枚目で言いたいことが言えるようになってきたっていう感じで増えたんだと思いますね。
1stフルアルバム『ALL OFF』
――そして昨年、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出ていただき、あの時は、明確にフェスの場で勝つための1曲として“Sweet Sweet Crazy”もリリースしたわけですが、ライヴとしての手応えはどうでしたか?
Yukioやっぱり出るだけじゃダメなんだなって。その先にもう名だたるアーティストがいっぱいいて、まあある意味、そこを蹴散らしていかなきゃいけないじゃないですか。出ることが目標みたいになっちゃうけど、出ることでまだまだバンドはこの立ち位置なんだなっていうのがわかったし、これをやれば戦えるバンドになれるっていうのも当然わかったし。
so-hey僕、あの日Dragon Ashさんのステージを観させてもらったんですよ。そこで何万人もの人が“Fantasista”を歌ってるのを見て、すごいと思って。人に愛される曲って、こういう曲なんだと……あの景色を見てから、自分の曲作りに対する考え方がまたガラッと変わりましたね。
――またひとつ、意識が変わるきっかけができたと。そして、これまでの経験を経てできたのが、1stフルアルバム『ALL OFF』っていうセルフタイトルの作品で。バンドの人生とすごく向き合った作品なんじゃないかな?と思うんです。たとえば“C'mon C'mon”。3枚目以降、まわりから「変わった」って言われた、でも、やっぱり売れなきゃダメなんだ、この世界で勝つっていうのはそういうことなんだ、だから変わるんだっていう決意が表れている。
so-heyそこを拾ってもらえると思わなかったです。たしかに変わったかもしれないけど、考えなしに魂売ってるわけじゃなくて、信念があってやってるんだよっていう。昔よりもむしろ今のほうがプライドを持ってるぜっていうことを言いたくて。そりゃ、表面的にはちょっとキャッチーになったし、いろんな音楽やって迷走してるとも言われるし……でも、それは長い目で見た将来の目的地があるからやれてるわけで。
――ALL OFFのプライドはたくさんの人に届けるだとか、たくさんの人と一緒にライヴを作っていくっていうところにあるからこそ、こうやって柔軟に変化してきたんだろうなって思います。
so-heyうん、そうですね。狭い世界で、一部の人にしかわからない――そういうものをアートと言うのであれば、僕らは別にアーティストである必要はないって思っていて。よりたくさんの人を巻き込んで、いろんな人を笑顔にすることができれば、結果的に、僕自身もメンバーも親もスタッフも、みんな幸せにできる。その輪を広げたいんですよね。だからこのバンドにとっては、売れるってことは正義なんです。だからそのためには、やれることは何でもやるし、考えて行動するし……売れることは決して悪いことじゃないと僕は思うので。勉強家の集団として、どこまで行けるか見せてやるよっていう気持ちですね。
――多くの人に聴かれてこそっていう意味において、正しくポップミュージックであるっていうことだと思うんですよね。
so-heyうん、僕たちの場合はそうだと思ってますね。
――さて、ここまで過去の作品について振り返ってきて、結論として「ALL OFFはどんなバンドなのか?」っていうことなんですけど。勉強家の集団だっていう話もあったんですが、常にお客さんに、どういうふうに届けるか、どうやったら刺さるのか?っていうところを一番に考えてきたバンドなんだなって思うんです。サウンドも歌詞も変わってきてるんですけど、歌詞のメッセージ性の強さとメロディの強さっていうところが核としてある。その上で、それさえあればあとは何でもできるという。
so-heyそうですね、いい曲はいいでしょっていう、もうシンプルにそれだけですね。あとは楽しもうぜっていう。
――だから、お客さんがどうやったら喜んでくれるか、何をやったらお客さんが笑顔になってくれるかっていう――日本語詞を取り入れたのも、自分たちの個性を守るより、お客さんが歌ってくれることのほうが正しいと判断したっていう、常に聴き手のことを考えて11年間やってきてるバンドなんだなと私は思いました。そう言われて、どう思いますか?
so-heyありがとうございます。ある意味それが取り柄というか。もし才能が何かひとつあるとしたら、客観視できる能力なのかな?と思います。天才的な曲が書けるとか、めちゃめちゃ歌が上手いとか、天才の演奏家が揃ってるわけじゃないんですけど、冷静に客観的に、自分たちの状況を見て、足りないものを補って、長所を徐々に伸ばしてく、それができるのがこのバンドの才能だと思いますね。
――だから、ALL OFFのジャンルってひとことで表現できないというか。でもつまり、変わってきたとは言っても、聴き手の正義を尊重してるっていう信念においては、実は変わってないのかもしれないですね。
so-heyうん、芯の部分は絶対変わってないですね。