彼らの欲しいものと僕の欲しいものが必ずしも一致するとは思わないけど、おもしろそうなほうに一緒に行かない?っていう
――しばらく音沙汰がないなという印象だったんですけども。
「たぶん誰しもがそう思ってると思います。本を書いたり、ボーカロイドっていう文化で曲を作ったり、アニメの原作をやったり……いろいろ活動はしたんですけど、それがひと段落したというか。自分や作ったものをようやく俯瞰的に見れた時に、周りからあれをやろう、せっかくだから、ファンも待ってるからっていろんなことを言ってもらえて――そうやって作っていたものが、いつの間にか自分だけのものじゃなくなっていて。作ってほしいって言われたから作るっていうことが当然になっていた時期があったんですけど、そうじゃないんじゃないかな、みたいな。その時期にいろんな人に会ったんです。米津(玄師)くん、Lyu:Lyuのコヤマ(ヒデカズ)さんとか。そこで今、自分がちょっとやり尽くした感じになってしまって、求められないと作る意味がわからなくなってしまっているっていうことをお話ししたんです。でも、みんなはそれぞれ作る理由をはっきり口にしていて。『俺にはないな――やばい』って思ったんです」
――なるほど。
「なんで表現したいと思ったのかがよく思い出せないというか。だから、適当なことをやるぐらいだったらやらないほうがいいっていうところに至ったんです。それで、見たかったものを見たり、聴きたかったものを聴いたり、逆に昔聴いてたものも聴いたりとかして。その間にまた音楽のファンになれている感じがあったんですね。それこそ(星野)源さんが大好きで、『Stranger』を聴き漁ったり、SAKEROCKも解散して泣いちゃうみたいな、普通の音楽ファンになってたんですけど(笑)。専門学校の、18歳ぐらいの頃に戻りましたね」
――前回インタヴューした時に、じんくんは「プロジェクトとしては終わって、次に向かわなければいけない」と言っていて。『daze / days』は今までやってなかったような、わりと楽器にこだわった作品ですと。「今までのプロジェクトとは違う、音楽をやる人としての自分みたいなものがそういうところに見え始めたから、これでやっていこうと思ってるんですよね」っていうのを聞きながら、それってわかるようでよくわからない、次に行く道って本当に見えてるのかなと思いながらインタヴューしてたのを思い出したんだけど。
「そうですね」
――そのあと、「いや、待てよ」っていう感じになったということですか。
「楽器を弾くのが楽しい、曲を作るのが楽しいっていうのは自分の中にあるんですけど、それをやる意味を人に言えない、責任が持てない。それを言うのが怖くなっちゃったところもあって」
――じゃあ、そのやり方では次に進めないって気づいたという感じ?
「そうですね。『重要なものがあと1個足りない』っていう。周りにちゃんと話せば良かったんですけど、この数年忙しすぎてコミュニケーションも取れてなかったせいで、事務所も『今ガンガンやらなくてどうする?』っていう状態で。だから自分勝手だったんですけど『ちょっと待ってください、その代わり、いい曲をいいアーティストとして出せる状況にいきたいっていう気持ちはあります』って少し時間をもらったんです。そんな時に、新しいスタッフが入って、『音楽やらない?』って言ってくれて。『僕はこういう音楽が、こういうバンドが好きで』『わかるわかる』って、久しぶりにそういう話ができて。音楽を好きだった時の気持ちがどんどん出てきた。俺はこういうものが好きで、信じてたなと思って。明るいほうに歩いて行こうじゃないですけど、とにかく自分が正しいって思っている道を進んで行こうみたいな、漠然とした中にも細い芯ができたような気がしました」
――ある意味、これまでの活動の元になっていた思想とか世界観よりも、大きな哲学みたいなものが見えたのかもしれないですね。
「そうですね。ボーカロイドって、僕の体感だとフィクションを作る最高のツールだと思ってたんです。でも、それを長く続けたら自分がよくわからなくなってしまっていた。そこが普通の生活をしたらなんとなく見えてきて。なのでフィクションよりも現実的なもののほうが、おっしゃる通り広いものだと認識したっていう感じなんですかね。曲の聴こえ方も全然変わってきて」
――なるほど。その新しい自分が、表現者としてこれから表現していくための哲学を見つけなきゃっていうところだったんだけど、それは言葉にするとどういう感覚ですか?
「胸を張れる自分の意見ですかね。今まで『良くないね』って言われたら、それだけで曲作りをやめちゃうようなものだったんですけど。否定されてもいいって、誰かに言われたから信じたわけでもなくて。それが正解じゃないっていう意見があるんだったら、別に共鳴しなくていいというか、誰に否定されても、『君がそう思うなら別にそれでもいいけど僕は変わらない』って言えるものを哲学として乗せて――きっとそれって歌詞になるんですけど――音楽にしていきたいなという感じですかね」
――結構多くの人が、そのプロセスを辿りますよ。
「本当ですか」
――最初は自分の中に蓄積されたいろんな美学とかスキルとか、そういうものをアウトプットするだけでかっこいいものを作れるし、それが自分だっていう。でも、そこでいつまでも完結していられないわけで。それを過ぎると今度は、大きな音楽の世界があって、そういう大いなるものと繋がりながら表現していくゾーンに入るっていうのがあって。そういう感覚にちょっと似てるのかなと。
「うん、そうですね。だから今まで左脳で作っていたものを右脳で作ろうみたいな。今まで作ってきたものは、自分の中で点数が見えるというか、これは80点、これ90点、いやこれは70点、俺の曲の中でもトップ5はこれ、みたいな。自分の中で思っていることももちろん入ってたんですけど、プラス、方程式というか、『わかりやすさイコールこれ』みたいな、今だったらずるいなって思うようなことをやっていたので。賭けに出ようじゃないですけど、『いいや、これがだめって言われたら俺はだめなんだ』って思えるくらいのことをやろうと。だから曲は比べ物にならないぐらいいい曲になると思います」
――それは、自分の意識の変化が先で、今までとは違うレベルの曲が生まれたのか、それとも自分のアーティストとしての成長があったから、だんだんそういう考え方になってきたってことですか?
「後者だと思います。たとえば、ファンの人に『楽しみ』って言ってもらえると嬉しくて、『じゃあもっとテンション上がる曲を作るよ』とかやってたんですよ。でも、その『楽しみ』と言っている人の中に俺がいないというか、俺自身も楽しませてあげないと続かないなって。自分がいいと思えないものは作りたくないなっていうのは、高校生の時だったらわがままなだけなんですよ。でも、全部踏まえて好きなことをやる責任を感じたんです。その上で、やることの中にもっと自分の正解がないといけない。それがもしだめでも、それに怯えないっていうところまで来れた気がして。ようやく『ミュージシャンです』って言えるなって――まだですけど、言えそうだなと思えてきて」
――今はどうですか? 自分も周りの人たちもファンもそこで一致して喜ばせられるものを作れる自信っていうのはあります?
「あります。きっとそうだと信じてるっていう感じですね」
――それは前に、聴いてくれる人を喜ばせようっていう視点のみで作っていたのとはレベルが違う感じなんだ?
「彼らの欲しいものと僕の欲しいものって必ずしも一致するとは思わないんですけど、おもしろそうなほうに一緒に行かない?っていう。それなら、わりとひとつのものを目指せるような気がするんです。人が喜びそうなこととか、言ってしまえば売れそうなものとかは思い当たっちゃうんですよね。それがだめなことだとも思ってないんですけど、それってパワーがものすごくて簡単に他のものを食っちゃうというか。本当は見せたかった哲学とかも簡単に凌駕していっちゃう。その扱い方を知らないで使っていたような感覚だったので、しばらくそういうものと距離を置いて考えていたのが、お渡しした音源ですね」