結成から20年。ここに至るまでの歴史の途中にはメンバーの脱退、事故による死別、解散、そして復活という紆余曲折があるなかで、KEMURIが変わらずに標榜してきたのがPMA(Positive Mental Attitude)精神だ。「生きる」という人間の根源的な営みに「前向き」に対峙していこうとするその意志は、ベストアルバム『SKA BRAVO』のタイトルにも溢れている。人の心を躍らすスカパンクを称える思い、そして、何事にも屈せずスカパンクをやり続けてきた自分たちを称える思い――生き様が詰まったこのベストアルバムの楽曲を通してKEMURIの軌跡を辿りながら、今なぜ最上級に熱い信念をたぎらせることができるのか、その理由を探った。

インタヴュー・撮影:石井彩子

どの曲もそうですけど、毎回がNew Generationなんで。できるべくしてできたんじゃないかな(平谷庄至)

──『SKA BRAVO』に収録された曲を見ると、ファースト『Little Playmate』とセカンド『77 Days』、あと9枚目『ALL FOR THIS!』と10枚目『RAMPANT』からの曲が中心になっていて。ファーストからの“New Generation”“Prayer”“Ato-Ichinen”はライヴでもアンセムになってる曲ですし、KEMURIの根源的なところを表している曲だと思うんですけど。この3曲を選ばれた理由っていうのはあるんですか?

コバヤシケン(Sax) ライヴでよくやってるっていうことですよね。20周年で“New Generation”──僕、その時まだメンバーになってないですけど、一番最初にスタジオで練習した曲なんですよね。それを20年経った今やるとどういうふうに聴こえるんだろうっていう、それを聴いてほしいし、自分たちでも聴いてみたかったんですよね。

──新録したのも、サポートメンバーふたり(河村光博/Tp、須賀裕之/Tb)も含めた自分たちの「今」の思いを改めて込めたかったっていう意味合いもあるんでしょうか?

伊藤ふみお(Vo) そうだね。まあ最初はレーベルの担当者に、今のKEMURIがすごくいいから、今のKEMURIで、ライヴを予見させるようなKEMURIの代表曲を録り直して、それをKEMURIを知らない人に聴いてもらってライヴに来てもらえるような状況を作ることができないかって言われたんですよね。それがそもそものきっかけで、それから選曲していった感じ。

──このベストアルバムのすべての楽曲が、KEMURIをまだ知らない人たちにも届くような開けた曲であるんですけど、特に“New Generation”は世代を超えた影響力のあるメッセージを持っていますよね。きっとこの曲ができた当時は、「俺たちが新しい音を作るんだ」「俺たちが新しい世代になるんだ」っていう思いを込めて作られたんだと思うんです。でも今聴くと、10代、20代に向けたメッセージにもなってて。ひと回りふた回りして、新しい表情を見せてる。ずーっと昔から演奏してきた曲でもありますが、KEMURIにとってどういう曲ですか?

平谷庄至(Dr) まったく飽きることもないし、毎回やっててもいろんな感じることがあるし。そんな曲の筆頭ですね。

──常に1本1本のライヴの時に、新しい顔が見えてくると。

平谷 うん、そんな感じがします。まあどの曲もそうですけど、毎回が“New Generation”なんで。最初にできたからっていうか、この曲はできるべくしてできたんじゃないかなとは思います。その場には立ち会ってなかったですけど、今やってても毎回新鮮な気持ちになれるし。で、“New Generation”を筆頭に、今KEMURIがライヴでよくやってる曲がここに集まっているっていう、まさにそういうアルバムになったと思います。

──ちなみにこの“New Generation”ができた瞬間を覚えてたりしますか?

津田紀昭(B) うーん、どうだったかなあ。

平谷 ははははは。

伊藤 3人で吉祥寺ペンタ(スタジオ)に入ったよね、ドラムとベースと俺とで。最初にベース弾いて、次にギター弾いて。あの時はブラッド(津田)がやったんだ。

津田 “Ato-Ichinen”の時は鮮明に覚えてるんだけど、“New Generation”はなんかあんまり記憶にない(笑)。

伊藤 俺覚えてるよ。3人で入って。当然ホーンズは入ってなかったし。

津田 そうか。“Ato-Ichinen”の時は、僕が仕事の関係で小倉にいたんですけれども。それでふみおくんが東京からやって来て、街の練習スタジオに入って“Ato-Ichinen”を作ったんですよ。ドラムは地元の知り合いに無理矢理叩いてもらって。

伊藤 懐かしいですねえ。

──ふみおさんがわざわざ九州まで行ったのは、「曲を作るなら今しかない!!」っていうような必然性を感じたからですか?

津田 たぶんねえ、KEMURIをやるにあたって、やっぱり僕がまた東京に出ていくことになるじゃないですか。それでなんかまだ「じゃあ東京行ってやるぞ!」って決めてなかったような気がするね。ちょっと迷ってた。でも曲だけは作ろうというので。

伊藤 あの時は俺、アメリカから帰ってきたばっかりで、基本的にブラブラしてたからね。だから行ったんだと思うんだよね。でもあの時さ、焼肉食べに行ったりとか、そういうほうが覚えてるわ。

津田 (笑)まだ何ひとつ音源が出てない時だよね。

伊藤 そう、だってあれ2回目のデモの録音で。やるって決まってたけど、でもその時に最初にデモ録音を一緒にやったドラムが「やっぱできません」みたいな話になって。

津田 そうそうそうそう。

伊藤 「えぇ~~?」とか言って(笑)。スケジュールが決まったんだけどドラマーがいないみたいな。それで白羽の矢が立ったのが平谷庄至だった。

平谷 わたくしです。

津田 そうか、“Ato-Ichinen”は叩いたんだよね。

平谷 そう。“Ato-Ichinen”と“Prayer”。

音楽に集中できてっていうようなバンド歴じゃないですよね、我々は。そういう意味ではすごいパンクバンドだなっていう感じがするんだけど(笑)。もちろんやりたいからやってるんだけど、それと同じぐらいやらされてる感は解散前よりもすごく強く感じてる(伊藤ふみお)

──じゃあ“New Generation”“Ato-Ichinen”“Prayer”はKEMURIの中でもほんとに初期の初期にできた曲って捉えていいんでしょうか。KEMURIのPMA精神を形作るような曲というか。

伊藤 そうですね。ほんとにこう、どこに向かって歌ってるんだかもわかんなくて、まあ、自分に向かって歌ったみたいな感じの曲ですけどね。つい2、3日前にも歌ったけど曲も歌詞も全然違和感がないし。その時のまんま、ずーっと今に至ってる感じだから。すごい強い曲だなあと思いますよね。“Ato-Ichinen”を作った時、アメリカから帰ってきたらもうほんとにハイスタ(Hi-STANDARD)がワッと売れ始めた頃で。コークヘッド(COKEHEAD HIPSTERS)とか、みんなかっこいいわけ。RUDE BONESもいて、SCAFULL KINGとかみんないて。

コバヤシ 気持ちわかる(笑)。

伊藤 SUPER STUPIDとかさ、みんな英語なわけ。で、“Ato-Ichinen”を作ったのはいいけど、コークヘッドとかと一緒にやったライヴで日本語の曲を歌うのが恥ずかしくて。イントロとかなんかもう、モジョモジョと、日本語の歌詞をちゃんと歌わないでごまかして歌ったりするぐらい、日本語の曲を歌うことに対する気恥ずかしさみたいのがあって。で、そんな曲が、今“PMA (Positive Mental Attitude)”と並んでKEMURIの大代表曲になってるし。そういう歴史を見ているとですね、“Ato-Ichinen”は自分の中ですごく印象的な曲ですね。

──さっきおっしゃったように、今ファーストの曲やセカンドの曲を歌っていても、まったく今のKEMURIとの違和感がないですよね。『SKA BRAVO』のなかで並んでいる曲を改めて見て思ったんですけど、1曲1曲に時代を超えた普遍性がある。

津田 KEMURIのメンバーがステージで出してる雰囲気がそういう感じだから、どの曲をやってもハッピーな空間っていうか、だからそういうものが出てくるんじゃないかな。なかには暗い曲もあるけど、基本明るい曲を書いてますしね。あんまり変わんないかもね。

──聴き手にとって、いろんなはけ口となる曲がありますけど、否定するだけで絶対終わらせない、どこかに希望を持てるのがKEMURIの曲じゃないですか。

伊藤 そうだね。使ってる曲はサクソフォンとかトランペットとか、古い楽器が多いでしょう。エレキギターとか――言い方古いけど(笑)、やっぱりそういうのに比べるとドラムとかも昔の楽器だから。それで昔のスタイルを踏襲しながら今の時代のパンクロック、スカパンクっていうものにはしてるんだけど。でもやっぱりね、そういうところのアナログ感は、どうしてもトランペットやサクソフォンの音色があるんじゃないですかね。まあ、楽しいスカパンクだしっていうところで、もちろんそれもあった上で、バンドのメンバーも全然違う場所からKEMURIにやって来た人たちなんだけど、曲を一緒に作れば作るほど似たもの同士なんだろうなあっていうのはあるよね。ほんとにその曲を作った時は全然考えもしなかったようなことが今回『SKA BRAVO』で録り直してみてあって。普遍的なところっていうのは、そういうところから来てるんじゃないのかなって思うけどね。

──ちょっと大げさな言葉ですけど、仲間の絆が生み出した奇跡っていうか。

伊藤 まさにコンビ―ネーションなんじゃないのかなっていう感じは、録り直してみて思いますけどね。昔すごく怒ってたことで、今全然腹も立たないようなことってやっぱりあるじゃないですか。で、あとは昔あんまり気にならなかったことでも今すごく怒りを覚えるようなこと? まあすべては変わってしまったけど、やっぱりどことなくそういう、いいバランスでみんな怒りと優しさ、柔和な部分が共存して音楽を一緒にやってるんじゃないかなと思うけどね。怒りは決して忘れてないと思うけど。

── 一度解散してなおスカパンクをやり続けてこれたのは、メンバー同士の相性も重要なことのひとつだとは思いますが、それだけじゃないと思うんですよ。それがなんなのか、ずっと知りたかったんですが、それを言葉にできたりしますか?

伊藤 うーん、ほんとにそればっかりはよくわからないね。そういうもんなんだとしか言いようがないけど、まあなんか基本的にはダメっちゃダメだからね(笑)、一度やめてるし。なんていうか、問題のないように問題のないように、音楽にほんと集中できてっていうようなバンド歴じゃないですよね、我々は。そういう意味ではすごいパンクバンドだっていう感じがするんだけど(笑)。でもなんかあるんでしょうね。もちろんやってるからやるんだし、やりたいからやってるんだけど、それと同じぐらいやらされてる感っていうのは解散前よりもすごく強く感じてるし。まあTも再結成を機に入ってきたこととか。それもあるよねえ。

田中‘T’幸彦(G) もう縁ですよね。自分が戻ろうと思って戻るものでもないし。いろんなタイミングがあって、こういう機会をいただいた感じなので。自分の意識とは無関係な何かっていうかな。ちょっと変な言い方になっちゃうかもしれないけど、神様がそうしてるのかもしれないしね。

伊藤 Tがそういうふうに話してるのを聞いて今思ったけど、もしかしたら音楽的だから、今あるのかもしれないよね。総合的な意味でね。結果として活動が音楽的にできてんじゃないですか? 言い方が難しいけど、いい音楽を作ろうとしてるっていうところなんじゃないかなあ。それはみんなね、もうすごい売れてる人の音楽聴いてもまったく理解できないことがやっぱりあるじゃないですか。だけど、KEMURIの音楽はすごく好きだし。20年前に作った曲と今年作った曲を並べてやっても、やっぱりいいなあって違和感なく思える。音楽的なんだと思うな、やっぱり。

──なるほど。じゃあ次はセカンドからの“Ohichyo”と“PMA”と“Along the longest way...”に関して訊かせてください。この3曲が選ばれた理由も今と変わらずライヴで盛り上がれる曲っていうのもきっとあると思うんですが。

伊藤 そうですね。「KEMURIってなんですか?」「何がやりたいんですか?」って言われた時に、自分たちもやって気持ちがいいし、お客さんも聴きたいって思ってるようなものを考えて。いろんなライヴで、たとえばROCK IN JAPAN(FESTIVAL)やCOUNTDOWN(JAPAN)に出演させていただく時には、今のKEMURIを前提にそういうことを考えてセットリスト考えるでしょ。それと同じように考えて。セカンドからはこの3曲──まあもっと入れたい曲があったけど、やっぱりライヴでセットを組むような感覚っていうのは、みんな強く持ってやったと思う。

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